∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

10年ひと昔、あるいは、喉元過ぎれば。

アメリカは国家の威信を掛けて、10年以上追い続けた「敵」を殺害し、復讐を果たした。
 国策とはいえ、10年間、ひとつのことを追い求め続けるためには、想像を絶する努力と忍耐と幸運と経済力が必要なはず。そのどれかが欠けただけでも途中でとん挫する確率は非常に高くなる。常に張り詰めた緊張感と、目標に食らいつく精神力、そしてピンチをチャンスに変える大胆な発想がなければ達成しない。
◇では、日本はどうだろう。今回の大震災を数十年のスパンで復興へ導くことができるだろうか。あるいは、激甚かつ長期的な被害をもたらした原発問題を忘れることなく健全な方向へ導くことができるだろうか。
◇日本語には「10年ひと昔」とか、「喉元過ぎれば」とか、「人の噂も75日」といったように、熱していた議論や動向もある程度の時間が過ぎると、沈静化して忘れられるという言葉がある。
 苦しかったことも、辛かったことも「清算期間」が過ぎればすべて収束するというわけだ。
◇しかし、今回の大震災、特に原発問題に関して、こんな言葉を使うことがあってはならない。
 原子力発電がいかにハイリスクな技術なのかということを知った今、少なくとも、進んではいけない方向だけは見えてきたと僕は感じている。後は、これから進むべき方向にどう舵を切るかが最も重要なテーマではないのか。
◇隠すこと、捏造すること、やみくもに非難することなどもってのほか。健全な結論が出ない限り、収束はないのだ。どんなに時間が掛っても、どんなに負担が増えようとも、である。ここに政治のパワーバランスや企業の論理が入りこむ余地はない。決して「負の力」が働いてはならない至上の命題といってもいいだろう。
 決して諦めないことはいうまでもなく、日本に住む人間すべてが注視し続け、真に健全な結論を導き出す努力こそ重要な要素になる。たとえそれが、険しい議論や負担に連続になろうとも、世界に胸を張って宣言できる結論を導き出そう。それこそ、世界に貢献するために日本人に課された義務なのだ。
◇さあ、将来、健全な結論が出た時に2011年3月11日が「国創り元年」と言われることを目指して、すべての人の力を結集させ、美しく健康的な日本の国創りへ歩き始めよう。
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