∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

喉元過ぎれば、あるいはブーム到来?

ゴールデンウィークもあと少しで終わる。そして、大震災からはほぼ2ヵ月経った。
◇今年のゴールデンウィークは、休日の取り方によっては10連休になった。海外へ飛び立った人、国内旅行を楽しんだ人、自宅でゆっくりと過ごした人。様々なホリデー・スタイルがあるだろう。僕だってノンビリ自由形で過ごしている。
◇今年のGWで最も特徴的なのは、大震災にあった地域でボランティア活動をして数日を過ごすというものがある。
 ところが、なかには「一度は行っておかなければ」とか「貴重な経験をするために現地で数日過ごした」というような「体験型ボランティア」が存在するという。中には「せっかく来たのに一日で2時間しかボランティアができない」とグチをこぼしている人もいるようだ。
 どこか、おかしくないだろうか。ボランティアって、そんなものなのだろうか。僕には連休ボランティアの人々の中には「ブームに乗った人」が多く含まれているのではないかと思っている。つまり「流行に乗り遅れるな」である。こう言うと、ボランティアのことをストイックに捉えている人たちから「ボランティアは流行じゃない」という言葉が聞こえてきそうだが、現実を見ていると、どうしてもボランティアを「マイブーム」にしている人が多いように思えてならないのだ。
 ブームという言葉が適切でないのなら、極端だが、あえて「喉元過ぎれば、熱さ忘れる」という言葉を選ぶ。
 ある程度復旧が進んでからの報道を見て「ふーん、そこまで進んだか」と自分とは距離のある問題のように感じるマイブーム派がいると確信しているからだ。
◇こういうタイプのボランティアはこの時期が終われば、すっかり活動から離れ、今度はマイナー評論家になって「現地の経験によると・・・」というようなコメントをするようになるのでは、と想像している。そして、コメントをする相手がいなくなると、今回の活動自体が単なる想い出になってしまうことだって充分に考えられる。
 もちろん、現実の活動からは離れてしまっているので、本当に人出を必要としている現地の復旧作業への効果はまったくない。結局は、辛抱強く現地に根を下ろして活動している人々だけが復旧から復興への道程を見届けることになるわけだ。
◇ボランティアの鉄則は「見知らぬ誰かのために、その人の気持ちになって、献身する」ではないだろうか。決して「自分の経験」や「報告用」や「権威付け」のためのものであってはならないはず。
 特に今回の大震災は復興までにかなりの時間がかかるだろう。被災地が集中していた神戸の地震でさえ、10年は掛ったのだから、20年くらい掛ってもおかしくない。
 それが直後とはいえ、数日で終わる活動はボランティア精神からも逸脱していると、確信している。
◇僕も、今、あるところでボランティア活動に関わっている。しかし、その作業は比較的短期的なもので、ある程度ゴールが見えてきた。
 ということで、僕の視点は、すでに、次に出来ることは何? 自分を黒子にして役に立てるのはどんな作業? というように動き始めている。
 しかし、あまりのめり込まず、ゆったりと楽しみながら、見知らぬ人のことを思い浮かべながら長いスタンスで見据えていこうと考えている。ブームで終わらせない決意は、まず自分からである。
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