∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

「一日千秋」それとも「果報は寝て待て」

◇『詩経』。孔子が編纂したとも言われている中国の古典、四書五経のひとつで、中国最古の詩集。
 この中に「一日千秋(いちじつせんしゅう)」という言葉がある。
 一日が千年の長さにも感じるほど、物事や人が早く来てほしいと願う情が非常に強いこと。つまり、非常に待ち遠しいことをいう言葉である。
◇一方で「果報は寝て待て」という言葉もある。
 仏教思想から出てきた言葉で、好結果を期待する時、やるべきことをやったら慌てず、焦らずなりゆきにまかせてゆっくり寝て待つような姿勢が望ましい、という意味になる。
◇誰にでも、こんな言葉がぴったりと当てはまる時がある。何かを待ち焦がれる時、人の心は結果の良し悪しを思い描いたり、そこまでのプロセスを思い返して悔んだり、確信したりと揺れ動く。
 そして、さんざん揺れ動いた後、好結果が出れば何もかも良しだが、万一、連絡が来なかったり、最悪の結果になったりすると、その思いが強ければ強いほど落ち込みは激しくなる。
◇僕は、新しい企画の結果待ちの場合は、思った以上に淡々と過ごすようにしている。とにかく、出来るだけのことはやった。ここからは他人が評価を下す時、僕に出来ることはなにもない、というスタンスだ。
 ところが、そうもいかない場合が多い。そんな時はその話題を考えずに済むように、まったく違うことに意識を集中させるようにしている。
◇実は、僕は今、そんな状態にいる。だから、ほかのことばかりを考えるようにしている。
 物事から逃げるな、という意見もあるだろう。僕もそう思う。しかし、今回はちょっと違う。なんとか実現させたい。あるわけはないが、念力でも使えればと思ってしまう瞬間もある。
 しかし、結局は「果報は寝て待て」である。「一日千秋」は僕には似合わない。今の僕流に言うと、物事を思い詰めて考えるのは「身体に悪い」のである。
◇数年前までの僕なら、自信たっぷりに「絶対、大丈夫」と言葉にしながら、内心は不安だらけ、まさに「一日千秋」の思いだったろう。しかし、いくつかの経験がそうさせてくれるのか、今なら「果報は寝て待て」である。
 ということで、ぐっすり寝よう。明日も忙しそうだ。
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