この続きはコーヒーと一緒に

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

両国の川開き

◇今日、今年も「隅田川の花火」が開催されることが発表された。
享保の大飢饉コレラとも言われている疫病の大流行。享保17年(1732年)はそういう年だった。そして、翌享保18年の夏、八代将軍徳川吉宗は慰霊と厄病退散を祈願して隅田川で水神祭を取り行った。その時、両国の料理屋が幕府の許しを受けて花火を打ち上げた。これが隅田川の花火の起源である。
 今では「隅田川花火大会」という名前で親しまれているこの花火大会は、昭和37年から53年までの中止期間はあるものの、江戸時代から伝わる夏の風物詩として、浅草を中心とする東京の下町では、欠かすことの出来ないものである。
◇その花火大会が、今回の大震災のあと「自粛」されるのではないかと心配されていたのだが、ようやく今日、開催が発表された。
 8月27日だという。
 例年なら、浅草の夏休み最後の大イベント「サンバカーニバル」が開催される日。だが、今年こちらは「自粛」の憂き目にあい、夏の重大年中行事がなくなったなあと寂しく思っていたのだが、花火大会が開催されるなら、やむを得ない。サンバの方は我慢するとしよう。
 それにしても、三社祭の神輿もないし、なんだか、今年の浅草は寂しくなってしまった。来年は、スカイツリーのオープンもあることだし、なんとか浅草ならではの活気を取り戻してもらいたいものだ。
隅田川の花火大会を見続けて、もう何年になるだろうか。
 改めて思い返してみると、僕はこの30年ほどで5回ほど引っ越しをしたが、いずれも花火が見える所だった。5月の三社祭と同様、夏の花火を見ないことには収まらない体質なんだろうか。
 毎年、いろいろな思いで見つめてきたが、これまではすべて自分の楽しみとして見つめてきた。家族や友だちと一緒に、あるいは一人でも、花火の迫力に酔いしれてきた。
 しかし、今年の花火は少し趣きが変わってきそうだ。
 きっと僕は、花火大会の原点に戻って、慰霊や厄祓いの意味も込めた見方をすることになるだろう。ひょっとすると、花火を見上げながら感慨にふけることになるのかも。それではせっかくの花火や花火職人に失礼かもしれないが、単なるエンターテイメントとして見るだけでは収まりそうにない。
 同時に、これまでの僕の人生の中で溜まってしまった「失敗の集積」を洗い流してしまおうか、とも思っている。
◇報道では、福島県須賀川市の釈迦堂川全国花火大会も開催されるという。
 よかった。花火万歳、である。
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