この続きはコーヒーと一緒に

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

管理体制の変化

災害派遣


 19年前、地震後の災害派遣は初動が遅れました。激甚災害であることが明確に判り、体制を整えてから派遣というような手順を踏んだため時間を要したわけです。当時の村山富市首相はそれを自らの失敗と認め責任を一身で受け止めましたが、その後は政府は一丸となって復旧作業に集中、地震後、1〜2日経ってからようやく被災者に助けの手が差し伸べられるようになりました。
 しかし、個人的には、当時の体制としてはあれが限界だったのではないかと思っています。というのも「役所は動かないもの、ましてや政府なんて」とか「自衛隊が出動するなんて」といった国民感情が根強く残っていた時代ですから。


 そして、3年前。政府の危機管理体制に大きな変化があったことを証明したかのように、内閣の対策本部が数十分以内に立ち上がり、は自衛隊をはじめとした災害派遣チームは可能な限り早く出動しました。政府の承諾がない限り出動できない世界中の災害派遣チームも早期に出動してくれました。


 「まずは出動する」。こんな簡単なことが当たり前のこととして受け入れられるようになるまでにどれだけ長い時間が掛かり、どれだけ多くの人命が失われたことか。
 今では、自衛隊災害派遣に関してのノウハウも蓄積が進んだし、ハイパーレスキューも規模が拡大し、DMATのような緊急医療チームまで組織化されるようになりました。
 19年前、精神的なケアを必要とする子供たちに手を差し伸べた小さなNPO活動もノウハウを蓄積しつつ大きな組織に育っているということも聞いています。


 ふたつの激甚災害を経験して、ようやく、自然の猛威を見過ごしてきた日本人も、知恵と勇気を出し合えば救うことの出来る人命が増え、それがひいては国力の維持にもつながるというもの事の本質に辿り着いたのではないでしょうか。
 激甚災害時にはあらゆる組織と人が出来るだけ早い段階から手を差し伸べることが重要ということが明確になったといってもいいでしょう。


 神戸の地震で亡くなった6千人以上の人々の魂と、300万人以上と言われている被災者の願いが、万全とは言えないまでも、それなりに形になりつつあるのではと実感しています。


[1173]