∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

通信環境の激変

【自ら発信】


 スマートフォンや携帯電話は今では持っていて当たり前の“道具”になりましたが、19年前は持っていない人も多かったと記憶しています。数週間おきに伸びていく大阪方面から神戸へ向かうJRの“終着駅”で携帯電話を使う人たちが目に見えて増えていったことに「電話の効用」を感じたものでした。
 ツイッターフェイスブックもLINEもなかった時代。インターネット上のブログだって限られた人しか利用していなかったこの頃、電話で家族や親しい人と連絡をとりあうことが「精神的なつながり」そのもの、これだって「救援のひとつのカタチ」だと実感したことも覚えています。


 そして10数年。通信環境はインフラもプラットフォームも、何もかもが激変。連絡を取ることだけでなく、現状を自ら発信することは当たり前。当時なら「口コミ」と言われていたことでも、今ではSNSを利用して「小さなメッセージが大きなムーブメントを起こす」ことも知り、当たり前のように利用するようになりました。
 この環境があったからこそ助けられた命もあったのではと想像しています。
 新聞やテレビ主体の、いわばプロ任せの情報発信から個人個人が直接生の声として情報クラスタを発信して多くの人を動かす時代がくるなんて、19年前には夢の世界。「こうなればいいな」という程度だったと記憶しています。東北からのツイートやブログ、ニュースなども気楽に入手できる時代が来るなんて想像するだけだったワケです。


 しかし、重要な発信以外に悪意ある風評も根拠のない評論も何もかもが混在していることを理解し、拡散してしまった情報の整理をすることの大切さも実感することになったことも事実。今、我々はバーチャルな空間の中でうごめく発信者の本音や性格を見極めることで行くべき方向を判断する時代を生きることに。一層冷静な姿勢が求められるようになったのではと感じています。


[1174]