この続きはコーヒーと一緒に

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

毎日が花見だったんじゃないか

【日常を大切にしきゃ】

 数年前までは谷中から上野公園の中を通ってJR上野駅へ行き電車に乗っていました。今は下町ド真ん中のエリアを通ってJR日暮里駅に行き、同じように電車に乗っています。
 その途中、上野公園にはおなじみの桜並木が。そして日暮里駅の駅前近くには数本の桜が点在しています。でも毎日、何気なく通り過ぎていたのです。そんな街なかの桜だって今を盛りと咲き誇っています。
 それなのに僕は、毎日なにげなく通り過ぎていました。時には桜の花びらがシャワーのように降り注いできていたのに、特別な感慨もなく通り過ぎていました。いやそれ以上です。わざわざ花見に行くぞと決めて目的地の桜を見るまでは、途中のどこに桜が咲いていようと見過ごしてきたのですから。

 「花見」というのは桜の花を積極的に愛でようとしたり、その下で宴を広げようとする「意識」そのものではなかったのかと思うようになっています。

 東京は桜の多い街です。日常いろいろな所で見かけている桜を一本づつ愛でていれば、それだけで毎日が花見じゃないかということにやっと気が付きました。街の小さな公園に植わった桜と一緒に過ごす時間が持てれば、それだけでも立派な花見じゃないですか。そう考えれば、いつでもどこでも花見ができるわけです。
 言葉を変えれば「地に足の着いた花見」とでも言えそうです。これまで見過ごしていたこの見方、満開を過ぎようとしている今年の花見のテーマにしたいと思います。

 ということで。明日が素晴らしい一日になりますように。いい花見日和になりますように。

[1982]