【散髪屋にて】
午後半ばになって散髪に。午前中から暑かったのがいっそう暑くなったような天気で、たった数分しか歩いていないのに汗だくでした。
ちょうど客の切れ目だったのでしょう、すぐに座れました。あのおしゃべりオヤジが切ってくれることを除いては、いい滑り出しだったんです。
椅子に座って首にタオルを巻き、エプロンを掛け、さあ切ってもらおうじゃないかと態勢を整え終わった頃。急に右脇が攣ってしまいまったんです。
「イテテテテッー。ちょっと待って。攣っちゃったよ」。エプロンを跳ね除けて右腕を首の後ろに廻しながら左方向へ。思い切り伸ばし続けました。ハッキリ言って散髪屋で見たことのない恰好だと判っていても、一番伸びそうなのがこの恰好だったので仕方ありません。
そんな恰好をしていたら、あのオヤジが「どうしたの。攣ったの。足なら親指を引っ張ると治るけどね」と、一応、心配しているようなフリをした後「まだハサミは入っていないから、今なら止められるよ。どうする」と言い始めたんです。発達障害の子供がおかあさんと来た時はあんなにキチンと仕切っているこのオヤジも、椅子の上で手を上げてイテテッと叫んでいるおっさんの扱い方は知らなかったようです。
「切るから待って」と言ったところ、「ひょっとして熱中症かな。熱中症になると攣るらしいよ。すごい汗もかいているし」と、少し落ち着いてきていた僕に最後のひと声を掛けてきました。
エアコンの効いた部屋にいて、数分間歩いただけでそこまで酷くなるとは思えないし、汗っかきなのでこれくらいの汗はいつものこと。彼にとっては“おっさんがわけの判らないことになった事件”だったのかもしれません。
やっと落ち着いて、自分でエプロンを掛け直したところ、オヤジが大急ぎでハサミを入れたところを見ると、きっと彼も安心したのかもしれません。あるいはできるだけ早く既成事実を作りたかったのか。どちらにしても、約15分間のちょっとしたイベントが小さな散髪屋に大騒ぎを引き起こしたことに間違いはなさそうです。……オヤジ、騒いで悪かった。
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