芸事初めの日と
リスキリング
能の世界を確立させた世阿弥が著した『風姿花伝』の本編にあたる冒頭部分に「年来稽古条々」は「一、この芸において、おほかた、七歳をもてはじめとす」という記述がある。芸事、つまり能の稽古は数え年の七歳から始まると明言したわけだ。その教えが歌舞伎の台詞回しで六月六日が付けられて「お稽古事は六歳六月六日から」と言われるようになったという。
現代の発想も同じかそれよりも早くなている起来はあるが「柔軟で吸収力が高く、興味をもったものを自分なりに解釈するようになる」年齢層ということに違いはない。
たしかに若い時の勉強や挑戦の軌跡は、技能だけでなく性格や信条まで、その後の人生のなかで非常に多大な影響力をもっていることは、その強弱は人それぞれだとしても、誰もが何かしらを感じていると思う。
そんな「芸事初めの日」に、私は「生涯勉強だろ、どうして六歳と限定する」と思ってしまった。「生涯現役」と心に誓った身としては当然の発想である。
とはいっても、悩ましいのは “年齢の壁” 。覚えようとしたことも一度では覚えられない。持久力も失せている。自分が直面してこなかった分野は敬遠しがちになる。何かに挑戦しても、とにかくハードルが高いのだ。
「リスキリング」という言葉が定着して数年経つが、初めてその言葉を聞いた時、私は、何を隠そう、「リス+キリング」だと思っていた。「リ+スキリング」だと気づいたのはしばらく経ってから。その時はじめてリスキリングが再訓練を指し、さらにはスキルの向上(アップスキリング)というステップがあることを知った。
さすがにこの年になると安易な方向に流れてしまい、経験値を磨くか経験の幅を広げることが中心になるが、新しい世界に挑戦しようという “姿勢” と “気概” だけは忘れていない。
世阿弥は『風姿花伝』の七歳云々のくだりに続く言葉としてこう記している。「ふとし出(い)ださんかかりを、うちまかせて、心のままにせさすべし……」。つまり「偶然出会った(演じ方)に干渉せず、自由にさせておけばいい」ということである。
手前勝手だが、私はこの言葉を、年をとってからのリスキリングにも取り入れるべき言葉だと思っている。
経験値を生かした挑戦でもいい。知らなかった世界に飛び込んでもいい。自分の守備範囲が高まったり広がったりするのなら、トライする価値は充分ある。
たとえ年寄りの冷水とか道楽だとか言われてもけっこう。「生涯現役の基本は生涯挑戦にあり」である。
≡≡[season14]24:50/Jun.06.2024 芒種初候≡
┃RAINY DAY ACCESORIES┃
-Hydrangea on the Street Corner-
Tomisaka-ue Kasuga, Bunkyo City.
Photographed on Jun. 11.2021