∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

≡≡ 敬老の日 ≡≡

人口減少・少子化・超高齢社会

 敬老の日ということで、日本の総人口や高齢者人口についての話題があらゆるメディアで報道されている。要は「人口は減っているけれど、子供の割合が減り、総人口の約3割は65歳以上のジイさんバアさんが占めている。また、減少傾向にはあるものの80歳以上の人口も依然として1割以上存在している」ということである。

 高齢者のひとりだが「生涯現役、ジジイとは言わせない」を信条にしている私のような人間はこの数字をどう捉えればいいのだろう。

「いつまでもお元気で」などというお題目が社交辞令でしかないことはとっくに理解しているが、それでも高齢者という色眼鏡で見られたりすることがあると、ちょっとだけ、反発したくなる。

 たしかに身体中にガタが来ているし、体力的にも昔通りとはいかない。理解するのに時間が掛かる用語やリテラシーも多い。旧態依然とした方法で新しい常識を解釈していることもないわけではない。それでも、多くの高齢者は若い時と変わらない意識と行動力で暮らしていると私は信じている。
 なかには、自分から「年寄りだから特別扱いしてください」とか「社会にはもう充分貢献してきた。これからは好き勝手に過ごさせてもらう」と宣言する人もいるだろうが、私を含めた多くの人は「自分を否定することなく、ここまで生きてきた延長線上で過ごそう」としているはずだ。

 現在の超高齢社会はこれからも数十年続くだろう。それと並行して、少人口で切り回わさないと持ち堪えられない社会背景も浸透してくるだろう。そうなると、ものごとを年齢切りで捉える古典的な習慣を考え直さないといけないことだって出現するだろう。ひょっとすると “生涯現役” とか “昔取った杵柄” という言葉自体も考え直さないと太刀打ち出来ない時が来るかもしれない。

 社会構造には常に新陳代謝が求められる。従来なら新旧が交代すれば自動的に新陳代謝が行われていたが、超高齢社会を真正面から受け止めれば、新旧の役割の再分担が大きな課題になるはずだが、一部を除いて、社会はそうなっていない。

 常識だと捉えてきたことを見つめ直し、数字が示す現実とどう付き合っていくかの意識改革を進めることこそ、今の課題ではないだろうか。
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[season13┃18 Sep. 2023┃11:20 JST
┃TOKYO : PRAY for miscarried babies┃
kaneiji ryodaisi, taito city.
Photographed on 02 Jan. 2023