【富士山】
「富士山は嫌い。どこか怖い」と言っていた亡くなった母にとって富士山は「神の住む山」であり、孤高を保つその姿そのものが「畏怖の念を抱く存在」だったようです。その意識の裏返しでしょうか。母は東海道新幹線で沼津や静岡あたりに差し掛かると、必ずといっていいほど居眠りをし始めて、出来るだけ見ないようにしていました。
そんな母に富士山が世界文化遺産になりそうだということを報告したら、仏壇のなかの彼女はどう感じるでしょう。
それに対して僕は……。
たとえば浜離宮の藤塚に行けば「どれどれ」と登ってみます。谷中の富士見坂では「今日は富士山が見えるかな」と確認します。
北斎の『富嶽三十六景』を見ればその迫力ある構図に圧倒され、広重の『江戸名所図会』に登場する富士山に「ここからでは絶対にこうは見えないはず。これもある意味では読者サービスだな」と思ってしまいます。
もちろん、初めて行った銭湯に富士山のペンキ絵があればそれだけで納得します。
当然ですが、5月の最終土曜から7月最初の日曜まで通算6日間、浅草の富士浅間神社界隈で行われる『お富士さんの植木市』にはできるだけ行くようにしています。
沼津の友人を訪ねた時には目の前に広がる巨大な富士山に圧倒され呆然と見つめてしまいます。
江戸の人々の間で流行した「富士信仰」も「富士詣」も僕にとっては知識のなかのもの。「昔の人も富士山が好きだったんだろうな」と思うばかり。切実さなんて無縁です。
さて、そんな富士山が世界文化遺産になりそうな気配が濃厚になったようです。いや。なるでしょう。ニュースによると、どうやら富士山から数十キロ離れたところにある『三保の松原』は選から漏れたようです。あそこから見る富士山ほど典型的な日本の風景もないと思うのですが……。
世界文化遺産になるまであと一歩。三保の松原も含めて世界遺産に登録されるよう、楽しみにまっていましょう。
ちなみに、あの富士山に脅威を感じていた母も今回だけは喜んでいるはずです。
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