∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

3月11日

【いま一度の検証を】

 東日本大震災から3年が経ちました。いろいろなことを書きたいと思っているのですが、一体何から書けばいいのか、短い文章の中でどうやってまとめればいいのか。視点をどこに置けばいいのかさえ判りません。

 あんなに大きな地震がやって来るなんて。あんなに大きな津波が襲ってくるなんて。そして、あんな恐怖の中に陥れられる放射能汚染が起こるなんて。何もかもが信じられない出来事でした。

 そして今。復旧から復興へと歩みを進めたはずなのに未だに被災した街の将来像が実感出来ないとか、仮設住宅で暮らす人が神戸の時とは比べものにならないほどいらっしゃるとか……。一体何が復興なのかとじれったい思いの中にいます。
 神戸の地震の時を思い出すと、3年目は「復興の正念場」だったはずです。ほんのかすかな光ながら将来への展望が見え始める時のはずなのに、どうも見えてきません。いまだに「片付け」が終わっただけという地域が多いように感じているのです。4年目に入ってようやく復旧への道筋が見えてくるのではと愕然とした気持ちの中にいます。そのためでしょう、大袈裟に言えば復興への道筋なんてまだまだ、と思えてならないのです。

 しかも、3年目が終わる頃から被災者のストレスが表に出てくるはずです。早期の復興を願う心と現実のギャップ。復興への下準備をしている間に蓄積されてしまった疲労。亡くなってしまった家族や親しい人たちを思い出す時の心を裂くような痛みを伴う無念さ。
 何をとっても人が前向きに生きていこうとする気概を失わせるような要素ばかりが浮かび上がってくる時期だろうと想像しています。つまり、今が「一番辛い時期」ではないでしょうか。
 同時に僕に何が出来るかも判らなくなっています。少なくともお金だけでは済まないことは確か。今こそ心と心の繋がりが求められているはずと理解しているのですが、では何をという具体的なものが見えてこないのです。
 今日からしばらくの間、自分にとっての大震災をもう一度少しずつ検証していきたいと思っています。

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