∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

≡≡ 聖火リレー始まる ≡≡

f:id:Yutaka_TAWARA:20210309143954j:plain

既成事実の積み重ねで
開催へまっしぐら

 東京オリンピックパラリンピックへのゲートウェイ聖火リレーが始まった。福島のJビレッジからスタートして全国を廻り7月には東京に入ってくるという。

 東京・大阪間に東海道新幹線という名の超特急電車が走り出し、新発売されたカラーテレビがお金持ちの証しだった時代。両親や学校の先生から日本の首都、東京でオリンピックというものが行われるということを聞き、意味もなくワクワクしながら待ち望んでいた。分かっていたのは世界のスポーツ選手が東京に集まって行われるスポーツ大会だということだけだったと記憶している。
 アテネという所で“聖なる火”が点火され、世界を回って日本にやって来ることや、その火が日本中を駆け巡って東京の国立競技場にやって来るという聖火リレーのことを知ったのは、手に黒いインクがうっすらと残る新聞を親が読んでくれた時だった。
 当時の聖火リレーは“聖なる火”で競技を見守る崇高な行事としか受け止められない存在だった。その賛否を問うなんて発想は国民の誰ひとりとして考えていなかったと思う。
 そんな聖火が国立競技場の聖火台に点火されるところは、小学校の視聴覚教室に設置されていた白黒テレビで見たように記憶している。
 録画されたものを我が家の白黒テレビで見た時、両親が正座して見始めたのに気づき、よほど特別なことが始まったんだと感じたことも記憶の片隅に残っている。

 そして57年経った今日、聖火リレーを皮切りに“東京2020”が始まった。

 コロナ禍のおかげで、いまだに開催そのものさえ賛否が渦巻いているなかでの聖火リレーのスタートを素直に誇らしく喜ばしいことと感じながら見た人はどれだけいるのだろう。私のように「開催には賛成だが、本当に大丈夫か」と割り切れない気持ちで見つめた人のほうが多かったのではと思うのだが、違うだろうか。

 開催日までにはコロナ禍も世界規模で収束するという確信も持てず、観客の入場の可否も、コロナ禍の競技用に設定された特別ルールも、世界中のオリンピアンの入国や滞在ルールも、何もかもが示されないまま聖火リレーは始まってしまった。
 ここから先は「聖火リレーが全国を廻っている」という既成事実をもとにして一直線にオリンピック開催へ向かっていくのだろう。

 “東京2020”はコロナ禍の影響で、これまでのオリンピックとはその意義がまったく違うものになってしまった。このまま開催しても、アスリートが作り出すレコードよりも、感染症と闘いながらも開催したという歴史的な事実だけが残るような気がするのだが……。少なくとも57年前のような晴れがましさは体感できないような気がしてならない。

[0325 - 3731]