豆まきで思い出したこと
そもそも節分は立春、立夏、立秋、立冬の「四立」の日を節分と言っていたものが、いつの頃からか立春の前日を指すようになったもの。いわば季節の変わり目を翌日に控えた「季節の晦日」であり、邪気を払う日だった。つまり、古の人たちは1年に4回、大々的に邪気払いをしていたわけだ。
年一回になったり、行事として知っているだけになったりしてはいるものの、節分といえば「鬼は外、福は内」と言いながら煎り豆を撒く豆まきが欠かせない。
まだ小学生だった頃、母が節分用に用意した大豆を焙烙で煎るのは私の役目だった。炒り豆に仕上げたものを妹と二人で家中に撒き、撒き終わったあとはそれを拾い集めて「年の数よりひとつ多い数」を家族全員で食べていた。
当時の私はこの豆まきという習慣を「年に一度の子どもの楽しみ」だと思っていたし、撒いた炒り豆を広い集めて食べるのは「掃除をし易くすくする」ためのものだと信じていた。邪気払いの行事だなんて夢にも思ったことはなかったのだ。しかも「年の数より一つ多く食べる」ことも「大人になったら大変だなあ」としか感じていなかった。
ある年、祖母に「おばあちゃんは何個食べるん? 大変やなあ」と聞いたことが合った。すでに還暦を過ぎていた祖母でも風習通りに食べるのかどうか知りたくなったのだが、祖母は答え代わりに笑顔を浮かべながら数粒食べただけだった。当然だ。風習通り食べていたら体調を崩してしまう。
窓を開けて「鬼は外」というのは寒いし、炒り豆より柿の種のほうがいい。ということで、当時の祖母の年齢をはるかに超えてしまった私は、豆まきもしないし、煎り豆も食べなくなっている。邪気が我が家に居座っていたままでもかまわない。気掛かりなのは福が入ってこないということだけだ。
伝統行事は忘れてはいけない大切なものだが、それに振り回されることはない。今の子どもたちが古くから伝わる風習として覚えておいてくれれば、それでいい。
==[season15]Feb.02 2025 大寒 ==
〈WAIT for SPRING〉
Kanei-ji,Yanaka, Taito City.
Date of composition Jan.20 2024