庭園美術館『岡上淑子展』にて
※なんと昨日、ブログアップをミスってしまいました。やむを得ず、今日は昨夜分と今夜分の2本をアップします。まずは昨夜分から。
フォトコラージュ⇒岡上淑子⇒瀧口修造⇒大辻清司⇒入試実技課題
この連想ゲームに答えを出せる方はほぼいらっしゃらないでしょう。でも、僕にとっては自分の過去を思い出させるには充分すぎるものなのです。
リニューアル後、一度も訪れていなかった都立庭園美術館へ『岡上淑子─フォトコラージュ─沈黙の奇蹟』展を観に行ってきました。
彼女は、1950年台から60年台に掛けての約10年間、戦後のシュールリアリズム運動の中で雑誌の写真を中心にしたフォトコラージュで一世を風靡した芸術家です。
日本のシュールリアリズムの旗手、瀧口修造からの応援もあり、精力的に作品を発表していましたが、結婚を機に一旦表舞台から身を引きましたが、今また再評価されるようになっています。
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その作品群の中で特に初期の作品を観ていた時に、作品とはまったく違ったことに気がつき、心の中にモヤモヤとしたものが湧き上がってきたのです。
─アレッ、フォトコラージュ…?…!……、これ、大学入試の実技試験で出た問題じゃないか。レベルはとてつもなく違うけれど、同じようなことをやったぞ。─
その“気付き”の後、僕の頭の中にはひとつの図式が浮かんできたのです。それが
僕が受けた美術系大学で行われた専攻別の実技試験でした。
フォトコラージュに興味を持った岡上淑子は、日本の戦後シュールリアリズムの旗手、瀧口修造から「創作を続けなさい」という言葉をもらい作品を精力的に創り続けました。
その瀧口修造のポートレートを発表していたのが、僕が学んだ大学の主任教授だった大辻清司は専攻別の入試問題も作っていたのです。ちなみに氏は雑談の中で笑いながら、まだ駆け出しだった60年台に、とあるファッション誌からの依頼に応えて4×5(約10×12.5cm)のシートフィルムを切り刻むという荒業でフォトコラージュを創ったそうです。まあ、納品したところ編集者が唖然とし、二度と依頼は来なかったらしいですが。
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そんな写真家が作った問題に僕はまる1日掛けて取り組んでいたわけです。岡上淑子や瀧口修造の影響がないとは言えない出題です。
正直なところ、彼女の作品群を観ていて「あの時の評価は低かっただろうな」としか思えなくなりました。発想もさることながら、根底に根付いていなければ作品として成立しないはずの思想がまったくなかったのですから。
入試から数十年。やっとあの時求められていたものが判ったような作品群に出会えましたが、同時に、自分の才能のなさに情けなさと気恥ずかしさも感じることになったのです。
いまさら才能のなさを見せつけられた複雑な気分と、解答への道筋がやっと判った清々しさが入り混じった日曜日になったようです。
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