∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

そう言えば、火事。その後。

◇個人的なことだが、地震一色の今、記憶の彼方へ追いやられてしまった大事件が約2カ月前の2月5日の深夜起った。
 隣家が火事になり、我が家を中心に見て120度分が全焼、30度分が半焼、我が家も雨どいが溶けたり、エアコンが動かなくなったりした。
 キャーという声に始まった悪夢のような夜だった。とりあえず、必要不可欠と思ったものだけを持って一端避難。自宅周辺をウロウロしながら行方を見守ったのだが、ふと気付くと眼鏡はしてないし、靴下も履いていなかった。意外と冷静な行動が取れたと思っていたのだが、やはり、かなりのパニック状態だったようだ。
 コンピュータが使えないため、ブログも近くのマクドナルドに陣取り、ケータイからアップした。 ようやく帰宅出来た後も、家中が水浸しだったため、数時間はとりあえずの後片付けをした後、奇跡的に濡れなかった座布団2枚を台所に敷き、ブランケット1枚で寝た。
あの夜のことは一生、忘れない。恐怖から逃げる時の心理状態の一端を体感し、パニック状態の中で見ず知らずの人々が突然、強い連帯感で結ばれることも知った。
◇あれから2カ月。
 コンピュータがクラッシュし、サブ機を立ち上げ、失ったファイルやアドレスなどを復旧させたるのに数日かかった。再度入力したファイルもいくつかあり、バックアップの重要性を痛感させられた。
 2月22日にはニュージーランドのクライスト・チャーチで大地震が起こり、語学留学をしていた多くの人たちが被災した。
 このブログがようやく連続100回を迎えた。火事の夜、無理矢理にでもケータイからアップしたおかげで、今でも連続1000日1000回の目標は途絶えていない。
 そして、今回の東日本大震災地震津波だけでも大変なダメージなのに、原子力発電所が被災したことから始まる一連の放射能汚染、計画停電という、まさに未曽有という言葉がふさわしい大災害である。
 当日、数時間掛って帰宅してテレビを見た時、大津波が押し寄せる映像が映ったのだが、一瞬、信じられなかった。一体、何が起こったのか。時折襲ってくる余震の中、ずっとテレビ報道を見つめていたのだが、石油コンビナートの火災、原子力発電所の壮絶なクラッシュ、そこに入ってくる長野地方の地震
 一体、どうなっているのか。テレビの報道も情報が入ったものから手当たり次第に報道し、統制も整理もなにも出来ていない状況だった。
 今でも、被災した人々のことと、原子力問題が日本全国を覆っている。
 そんな時、カダフィ派が徹底抗戦を宣言したリビアでは、アメリカが空爆を開始したり、NATOが介入したりという戦争状態に陥っていた。
◇通常なら、大ニュースとして扱われることすべてが、今回の地震で隅に追いやられてしまった。
 僕も、自分自身がもう少しで大火事に巻き込まれ、焼け出されるところだったことなど、すっかり小さな問題にしてしまっている。
◇なんと言われてもいい。わがままで自分のことばかりと非難されてもいい。こんな時なのに甘いことを言うんじゃないとお叱りを受けてもいい。被災者のことを考えろと言われてもいい。空気を読めとか、ノー天気と言われてもいい。すべて受け入れる。
 だからそろそろ、落ち着かせてほしいのだ。ひとつでいいからホッとしたり、楽しかったりする話題に触れたいのだ。フワッとした春の気分も味わいたいのだ。
 現実はこれまで同様に直視する。しかし、息を抜く瞬間がほしいのだ。
 自分の気持ちを「抜く」ことも忘れ、悲しさと悔しさと憤りと批判ばかりが頭の中を駆け巡っている今、僕に必要なのはリラックスするためのマインド・クールダウンかもしれない。
[139/1000]