∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

ニンビーの苦悩、インビーの計算

◇必要性は非常に高いが、建築をはばかりたくなる施設や考え方や態度のことをニンビー(Not In My Back Yrad:NIMBY)ということは昨日のブログで書いた。
 地域性や経済力、政治力など多様な問題が絡み合って作り出されるこの問題について、今日もう一度、フラットな気持ちで考えてみようと思ったのだけど、なんとも難しい。
 というのも、苦渋の選択で受け入れた施設と共存していくためには、充分な安全保障や経済保障が最低限の条件になるのが迷惑施設建設に伴う住民保障の最低条件。つまり、自らを無理矢理納得させるために必要不可欠なものを探し、妥協点を見つけるための土台になるものは何かということである。しかし、それだけで「何でもどうぞ」というわけにはいかないのも当然だろう。なにしろ、ほかの地域では断られてきた“迷惑施設”なのだから。
◇僕はここまで考えて思考がいくつかの枝葉に分かれていくことに気がついた。
 ひょっとすると、ニンビーな施設を受け入れる地域や人々と正反対のところに「高い公共性」や「自分たちにとって幸福な未来」などの恩恵を受けるインビーの存在があるのでは、ということである。
 「どうしても原発を作るなら、他の地域に作り、その電力は東京で消費しよう。その地域の住民の雇用も増える」という原発パターンもあるが、「自分が住む地域以外に巨大な米軍基地を作り、対外的な実績を残そう」というパターンもある。これほどの手前勝手はない。
◇だが、よく考えてみると、そのもっと奥に「原発を作ればこれだけの経済効果を生み出すと同時に国際的にも発言力が増す」とか「基地構想を実現させることが与えられた使命」と考えた人たちがいることに気がついた。国際交渉もひとつの舞台にしている権力の中枢、あるいは中枢に自分の居場所を求めた政治家や実業家(つまり実力者と呼ばれている人たち)なら、ニンビー問題を自分にとってはインビーな問題に置き換えることも充分に考えられる。
 しかもやっかいなことに、彼らは、そうやって発言力や政治力を増していくことこそ、与えられた使命だと深く信じている。
◇そして、なにより歯がゆいのは、そんな圧倒的な政治力の下で、僕たちの未来が作り出され、これからも作られるだろうという「現実」である。どんなに反対をしても、話がすり替えられ、情報が操作され、交換条件が出され……。
 いつのまにか、インビーという名のフィクサーたちが描いた方向に舵を切っていたことがどれだけ多いかを想像してみると、「なるほどな」とうなづきながらも、空しくなってしまいそうだ。
原発問題がいつの間にか政治力や企業の論理や国際的なパワーバランスの話になってしまった。いや、もともと原発も基地もすべてここに集約していたのだ。
◇日本の将来を見据える時、表面的な現象を見るだけではなく、裏に潜んだ行動のことも合わせて考え、発言していかねば。せっかくSNSという強い発言メディアを手にいれたのだから。
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