∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

地熱発電と言えば……

【卒業制作】


 大学で写真を専攻していた僕は、高校時代から撮り続けていたランドスケープと、芸能関係の月刊誌でカメラ・アシスタントをして目覚めたポートレートの両方を追いかけていた。
 当時は立木義弘氏、篠山輝信氏を代表とする新鮮な感覚のファッション写真家がいるかと思うと、都市のランドスケープを大胆なカメラワークで撮り続けていた森山大道氏、荒木経推氏など、個性的で鋭敏な視点を持つ写真家が「群雄割拠」している、まさに写真の時代だった。
 記録や伝達という報道写真と、あくまでも女性を美しく撮るポートレートから、メッセージ性や心象風景を被写体の中に描き出す時代に移り変わった頃である。
 あれから40年近く経つが、写真にしかできない何かを追求する時代は未だに出現していないと僕は思っている。あの時代、写真には強力な磁力があった。


 そんな時代、僕は大学の卒業制作に「軍艦島」を選んだ。
 3年生の時、ゼミの担当教授から「ある大学の建築関係のゼミが、お盆の頃、長崎沖の軍艦島に入る。そのチームに同行すれば撮影が出来そうなんだが行かないか」という話があり、参加させてもらうことにした。正直なところ3年生の時は純粋に興味本位だった。しかし、約2週間の撮影期間ですっかり軍艦島の魅力に取りつかれてしまい、4年になり卒業制作を作ることになった時、今年も行かせて欲しいとリクエストし、実現させたものだった。
 「軍艦島」は、今や、観光地としても人気が出てきている長崎沖の孤島だが、その歴史は極めて複雑。何から何までが国策のためにあった。
 もともとは炭鉱の島として発展した島だったが、第二次世界大戦中は朝鮮半島から何も知らない多くの人々を「徴用」して、生産を拡大し軍需の一翼を担っていた。
 また、日本にビル建築の知識がなかった時代からずっと、強度や設計姿勢などを開発するために実験的なビルを建てる、いわばビル建築の実験場でもあった。そのため、大正時代から昭和に中頃までのビル建築の見本が島の狭い敷地の中に乱立していた。なかには「木筋」で躯体を組み上げたビルもあるし、1階と高層階では柱の太さが違うビルもあった。


軍艦島地熱発電


 で、その撮影時のことである。
 当時、軍艦島は炭鉱が廃坑になり無人島と化していた。島に入るにも許可のある者だけが日中に限り立ち入れる状態だった。そのため、宿舎は隣の「高島」という島の公民館を使わせてもらうことになっていた。
 その高島での話である。
 公民館には風呂がなかったのだ。というよりもその島の住宅には「家風呂」というものがなく、公共風呂がいくつか作られていたのだ。
 ということで我々も毎日その風呂に通うことになるのだが、その風呂は温泉でもないし、誰かが湧かしてくれるようなものでもなかった。いわゆる銭湯より一回りほど大きな湯船があるだけで、真水を注水するパイプと蒸気を噴き出すパイプが湯船の端に設置されているだけのものだったのだ。
 毎日最初に行った人間が水を入れ、充分に溜まったところで蒸気パイプのバルブを緩め、蒸気を水の中に送り込む。そうするとバアーと蒸気が水の中に拡散され、数分で程よい温度になるのだ。
 なにしろチームの誰もそんな蒸気を熱源にする風呂なんて知らなかった。最初の日、現地の方から聞いたとおりにしたつもりだったのだが大失敗。20〜30分も蒸気を送り込んだ結果、熱くて入れなかったのだ。恐るべき蒸気の威力である。
 朝、よく見ると、島中に蒸気パイプが走っているようだった。高島も炭鉱の島のため、地熱がふんだんに使えるという。きっとどの家庭でもあの威力の蒸気が使えたのだろう。こんな公共サービスがあるなんていいな、と思ったことを覚えている。


 そんな格安の熱源だった地熱が代替エネルギーのひとつとしてスポットライトを浴びるようになった。


 日本は火山の国。炭鉱も多い。つまり、地熱を取り出すチャンスはいくらでもあるといってもいいのだ。地熱が蒸気となって地表に噴き出すのをコントロールして、タービンを回し発電する。出るのはタービンの回転時に出る音だけ。太陽や風力と同様のクリーンなエネルギーである。
 しかも、太陽熱のように大きな敷地を必要としないし、風力のように景観を壊すこともない。もちろん、温泉地なら地熱だけを取り出すことも可能だろう。
 いわばリフレッシュ&エネルギーなのだ。
 素人考えで何の根拠もないが、廃坑になった常磐炭鉱の近くでも地熱を取り出せるのではないかと想像してしまった。


 日本人は唯一の被爆国でありながら原子力発電を選び、自然との共生にはコストが掛ると信じてきた。しかし、裏切られた。
 そんな今、発想の大転換をして、胸を張って次世代に引き継げるエネルギー政策に切り替える機運は整ったのではないだろうか。その機運の中でも、僕は楽しさと電力の両方を生み出せる地熱発電にも大きな期待を掛けていきたい。


 なんだか、40年近く前の卒業制作が地熱発電につながってしまった。まるで「風が吹けば桶屋が儲かる」式の話になってしまったが、これはこれで良しとしよう。


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