【根津神社】
五代将軍徳川綱吉、六代将軍徳川家宣の氏神であり山王神社、神田神社とともに江戸の3大神社として栄えた根津神社は東京メトロ千代田線の根津駅から数分のところにある。
夏目漱石や森鴎外の旧居宅も近く、文学作品にも数多く登場していることでも有名な神社である。
この神社の近くに「刷師」という小さな看板を掲げた町家がある。聞くところによると、広重の『江戸名所百景』復刻版の刷りも何点かも刷ったという現役の名職人の工房である。
文京区や荒川区などにはこのような自宅兼工房がいくつかあるようだ。また、豊島区には版画の世界では有名な研究所兼工房もある。つまり、浮世絵版画の技術は脈々と受け継がれているわけだ。
【江戸東京博物館】
10年以上前、墨田区の江戸東京博物館で広重展が開催された。その時の記念行事として広重の『名所江戸百景』全点の完全復刻が企画された。現存する作品をもとに再度版木を彫り、色やワザを再現して刷った作品集だったが、これを完成させるためには版木や彫り方、あるいは、素材まで含めた色の再現など、失われたワザを模索し復活させるという困難な作業があったという。その結果、浮世絵研究としても非常に見事な作品集が誕生したと言われている。
つまり、江戸東京博物館を版元(プロデューサー)にして、彫師、刷師、そして和紙の漉き職人など現代の名職人たちの力が結集したものだったわけだ。
【完全復刻版】
古典的な技術を復活をさせるための完全復刻というのは版画だからこそ許される作業である。しかし大規模な企画でもない限り、研究価値の高い完全復刻版を作ることはできない。だからこそ、『名所江戸百景』の復刻には非常に大きな価値があったと言えるわけだ。
その後も多くの作品が復刻されるようになり、素晴らしい作品が比較的安価で手に入るようになった。オリジナルほどの価値がないのは当然だが、美術館で観るものと違い、発色も見事だし汚れもなく、初刷当時の色と迫力が再現されたものと考えていいものばかり。見方を変えれば、江戸時代の人たちと同じ発色のものが気軽に楽しめるわけだ。
ところが、現代の版画製作は作家ひとりが下絵を描き、版を彫り、色を刷るという一人作業になっている。つまり、作家イコール職人である。伝統工芸の作品は複数の職人による分業の中から完成するという法則からすれば、完全に「時代は変わった」わけだ。
現代で言えば雑誌的存在でもある風俗画から一点ものの作品製作へ。経済原則からいくと、浮世絵は大量生産品に取って代わってしまったほかの伝統工芸とは逆の歩みを遂げた。
過去を復活させることで、忘れ去られていた技術は甦ったが、作品自体はオリジナルとは言えない。ここに復刻版だけが持つもどかしさがある。
となると、復活した技術を現代の作品にどう生かし、どう職人や作家を育てるか。そこに日本が生んだ最高の美術の未来があると感じているのは僕だけだろうか。
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