∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

江戸伝統工芸**職人気質**

【伝統工芸と僕】


 このところ、20日間で18回、東京の下町に息づいている伝統工芸とその職人さんのことを僕なりに書きなぐってきました。
 自分でも、乱暴なまとめ方だなと思っていたのですが、大雑把でもいいから一度、自分の中で「まとめ」をしておこうと思って書き、毎晩、満足感と不完全燃焼感に苛まれながら「爆睡」していました。
 何故いま、伝統工芸なのか。書いてきた僕が言うのもなんですが……、分かりません。事故分析不可能です。
 確かに、最初は断片的に知り得た伝統工芸のことを工芸別にまとめておこうかな程度の思いはありました。でも、どちらかというと「行き当たりばったり」。「まとめよう」とした割には無計画、ちょっと反省しています。


 僕は、江戸切子のシャープでスッキリとした印象が好きです。正直なところ、薩摩切子の重厚な風情は僕には似合いそうにありません。
 僕は、広重の浮世絵が好きです。デフォルメ、細密描写、色彩計画、描写された対象物に隠された暗喩、時間帯や状況まで暗に示しているぼかしの色。そして、名所絵ならではの現代との比較。北斎を絵師というより画家として捉えている僕としては、江戸時代の町人たちと同じレベルで「お楽しみ」で観ていられる広重に好感が持てるのです。と言いながらも、浮世絵ではありませんが、伊藤若冲が描いた鳥獣花木図屏風(あの象の絵です) や川瀬巴水の雪景色も好きです。
 僕は、江戸小紋の繊細さに憧れにも似た敬意を払います。あの素晴らしさが自分にしっくりとくるようになることも、人生の目的のひとつにしてもいいと考えています。


【アナザー・ヒーロー】


 僕が伝統工芸に対しての興味を深めた理由の一つとして職人さんの存在は欠かせません。人間国宝や秀逸な伝統工芸士の方以外、彼らは名を明かしません。あくまでも黒子。でも、彼らの力がないとどんな作品も生まれません。作品の中では寡黙、仕事中は厳格、そして町中では陽気だけどちょっと偏屈。そんな印象が東京の下町に住む職人さんにはあると思っています。
 もちろん、芸術家と職人の違いはあるでしょう。しかし、過去からの遺産の中には作者の立場が職人だったのか、芸術家だったのか判然としない場合も多いと感じています。
 それはそれとして。
 僕にとって職人さんは「アナザー・ヒーロー」です。自分の仕事でお願い事をしている方も含め、黒子に徹しながら最高の仕事をしてくれる。そんな彼らがいなければ、世の中を素敵にしてくれるモノは生まれない。ちょっと大袈裟ですが、僕はそう感じています。


【そして、伝統工芸】


 伝統工芸品は、あくまでも伝統工芸品です。しかし、長い年月の中で磨き上げられてきたテクニックや哲学はこれからの商品作りにもっともっと活用されるべき。僕はそう思います。
 飛躍しすぎですが、たとえば、フォトショップの機能のほとんどがそれまでの印刷技術をデジタル化したものですが、このような考え方を伝統工芸の世界に生かすことでもいいのです。
 ただ、「手のぬくもり」や「切磋琢磨を続けるクリエーションとつながったビジネス」という江戸の職人たちが大切にしてきたモノ作りに対する姿勢やプライドは絶対的な価値を持つ哲学として忘れないこと。これさえ守れば、現代に生きる伝統工芸の立ち位置は確保できるのではないでしょうか。


 今回の連載は東京の伝統工芸の上澄み液を自分勝手にまとめたもので、自分的にはかなり楽しませてもらいました。
 ちょっと仕切り直しをして、充電と視野拡大をしながら、現代に生きる手ワザのことを見つめていくことを、またもや自分勝手に、誰に頼まれたものでもないのに、宣言します。


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