∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

8月15日

終戦記念日


 毎年、この日はやってくる。僕たちが知らない時代の「節目の日」だが、決して風化させることなく伝え続け、広めていかなければならない日である。
 今日も世界中のどこかで暴動や紛争は繰り広げられている。思想、主張、経済など原因はさまざまだろうが、結果は同じ。一時的には優越感に浸ることはあっても、結局は怨念と主張の正当化しか残らない。
 亡くなった多くの方とその家族。逃げまどい、苦しみの極致を彷徨った人々。66年も経った今でも後遺症で苦しんでいる人々。かろうじて生き延び、なんとか復興を成し遂げた人々と、その実績の中で穏やかに過ごしている人々。
 今日は、各人各様のいろいろな経験が積み重なって成り立っている現代を改めて見つめ直す絶好の機会である。
 同時に、なぜ状況分析よりもプライドを保つための権益作りに走ったのか、どのように情報操作や偏向した世論構築が行われてきたのかなどを検証し、それを反面教師として見つめ、熟考するべき機会でもある。
 

 現代の平和な生活が侵略、紛争、大戦、そして敗戦、占領という歴史の中から生まれたものであるという「忘れがちな事実」をもう一度噛みしめて考えてみよう。
 人間が自分たちの権益が及ぶ範囲を拡大させようとする動物であることも頭の片隅に置きながら、人に敬意を払うことや、理解し合うことを模索するのは人間に課された永遠のテーマなのかもしれないが、何時の日か、一線を越えることなく共生できる世界が生まれることを願う。
 今日は、自分の意思に関係なく亡くなってしまった多くの人々に祈りを捧げ、生き残り復興を成し遂げた先輩たちに敬意を払う日。
 平和な時を過ごす我々の生活は先人たちの血と汗が作り出した苦労の上に構築されていることに感謝しよう。そして今も戦いの渦中にある人々に平和な日々が来ることを願おう。


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