∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

分かり合う、分かち合う

【離れていても】


 毎日顔をあわせるわけでなく、いつも話をしているわけでもなく。それでも会えば、その場でぴったりと息が合い、まるでずっと一緒に暮らしている家族のように思える人間。人数は少ないかもしれないけれど、自分のことを自らのことのように考えてくれる人、それが真の親友でしょう。
 でも、そこまでの付き合いでなくても、ある程度「あいつならこうするだろう」と想像できる人間は多いもの。自分では気付いていなくても、いつも近くにいる人間がそうだったりもします。


【ところが】

 僕も活用していますが、ツイッターフェイスブックなどのSNSで知り合った、というよりもリンクを張れば、それだけで「友だち」になったかのように錯覚してしまう人を時折見かけます。
 たとえば、ツイッターで相互フォローがこれだけあるから、オレには友だちが多いという人たちがそれ。リツイートを繰り返しているから友だちになったような気になるのでしょうか。
 でも、ちょっと違うと思いませんか。
 実際に会ったことがなく、相手のことが分かるようになるには、かなり長い時間が掛ると思うのです。ところが、こういう人に限ってそうは思っていないようです。
 もっと理解出来ないのが、スマホのアプリをインストールして彼女が出来たと思ってしまう、擬似体験と実体験の境目が分からなくなってしまった人たちです。彼らはそんなスマホの中だけの彼女とどんな共通体験を積み上げていくのでしょうか。僕には分かりません。


【昨日会ったアイツ】


 昨日は突然連絡があり、夜になってから出かけました。久しぶりに会う友だちだったのですが、実は、どうもしっくりこないところがある人間だったのです。でも、顔を合わせ、他愛ない話をしている間に何もかも許せるような気がしてきました。
 でも、30〜40分で別れました。早い話が、彼は自分の友人を僕に紹介したかっただけで、僕と時間を共有したいと思っていなかったことが言葉の端々に見え隠れし始めたからです。その紹介された方とは和やかな時間を過ごせましたが、それでも、どこか引いてしまいます。なにしろ紹介者が紹介者ですから。
 結局、友人関係って「時間を掛けて培った奥行きある時間」が共有できるかどうかに掛っているのかな、なんて思いながら帰りました。やはり、僕には離れていても、会えばすぐに楽しくなれる人間のほうが友だちだと思えます。


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