∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

あれから一年《日本がひとつになる時─その1》

【絆の本質】


 大震災直後、日本中を「絆」や「つながり」という言葉が飛び交いました。日本中がひとつになって東北を救おうという気持ちの表れで、日本人も捨てたもんじゃないと感激したものでしたが、原発事故が起こった途端、風向きは変わり始めました。
 正確で納得できる説明がない中、「放射能汚染」という恐怖が日本中を蔽いつくしたと言っても過言ではない状況が突如起こったわけです。


 各種のNPOや急ごしらえながらも真剣に取り組むボランティアが大活躍している一方で、自ら希望を出して福島から取り寄せた木材を夏の観光イベントで燃やそうとしたものの「同情と安全は別物だ」という反対意見があるということだけで中止し、現地に送り返したという、人間性まで疑いたくなる事態が起こりました。おそらく、このような事態は表面化していないだけでほかにも多くあったと思います。
 また、福島というだけで農産物をはじめとしてほとんどの生産物が各地で拒否されるようにもなってしまいました。たとえ放射能汚染の心配はないという計測結果があったとしてもです。
 確かに政府が発表した安全基準はあいまいな点ばかりのものだけに不信感が増幅されたと断言できる当然の結果と言えばそれまで。絆の大切さを大声で唱えていた市民感情にヒビが入り、結果的に福島を隔離することで自らの安全を確保しようとするベクトルが急激に強くなっていきました。


 しかし、絆ってこんな簡単に切れるものなのでしょうか。つながりってこんなにもろいものだったのでしょうか。
 自らの心情も振り返りながら、安直に人を非難することなく、もう一度「絆」という言葉について考えなければいけない時が来たようです。


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