∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

《日本がひとつになる時─その2》

【信頼と理解】


 大災害に襲われた時、人はそれぞれに違った性格が色濃く出てきます。自ら立ち上がろうと懸命に努力する人。置かれた人生に悲観して自滅してしまう人。敵対することを選ぶ人も出てきます。人に頼ることで生き延びようとする依存心の高い人もいるでしょう。
 まさに人それぞれ。しかし誰もが必要としているのは他人とのつながりです。誰かが気に掛けてくれている。誰かが支援してくれている。どんなにあがいても明日が見えないと感じた時、人は自分を信頼してくれる人がどんなに大切かを身を持って知るのは、それまで想像もしたこともなかった非日常に自らが置かれてしまった時ではないでしょうか。


 今、東日本大震災でそれまでの日常をすべて失ってしまった人々に必要なのは「つながっている」と実感してもらうことだと感じています。
 それなのに、これからのグランドプランが定められないとか、自らが所属する団体や企業の利を追いかけることに費やしたり、綺麗な言葉とは裏腹に実際は生活に波風を立てないように保身に走ったりして被災者が「おいてけぼり」、あるいは「見ないようにして」いるのではと感じています。
 災害でもっとも恐ろしいのは人災であるという言葉を現状に当てはめてみると、まさにこの状況ではないでしょうか。被災した人にしか分からない辛さを想像しながら、少しでも理解を深めていく作業をおろそかにしすぎでは、と思っているのは僕だけでしょうか。


 結局、大災害にもっとも必要なのは、お互いに信頼し、助け合うという人間関係の基本だと今、改めて感じています。しかし、残念ながら「隠蔽」という旧態依然とした勝手な論理で本当に必要な情報や判断を発表しなかった専門家たちも含め、必要以上に自己防衛を試みたり、自分の知識の優位性を語らんがために根拠の薄い結論をひけらかしたりしている人が多すぎるように思っています。これでは復興など望むべくもありません。


 明日は大震災からちょうど一年。震災復興二年目がはじまります。誰もがもう一度「信頼関係」の大切さを思い出して、できるだけ早い復興とヒューマン・ケアに取り込もうではありませんか。


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