∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

あれから18年。あの日から2年。(その1)

【何が起こった?】


 あの日、早朝に母から「地震だあ」という電話が入った時、混乱している母の声を聞きながら一体何が起こったのかすぐには理解できませんでした。
 大きな地震が起こったと叫んでいる母。地震が起こったとだけ伝えるテレビ。まだ眠気の取れない僕。
 そんな状態から未曾有の大災害が起こったと確信できるまでの数時間の間は新しい情報が入るたびに事の重大さにショックが広がり、心に重く圧し掛かっていくばかりでした。
 母からの連絡があったあと2時間ほどしてこちらから電話するとまったく掛かりません。結局、最初に言葉を交わしてから二日間ほどは誰とも連絡はとれない状況に陥ってしまいました。


 何が出来る? どうすればいい? 取り敢えず行った方がいいのか、それともある程度の準備を整えたほうがいいのか。今抱えている仕事はどうすればいい? 引き継ぎだけでいいのか。テレビでは紹介されない母が住む地域の状態はどうなんだ。
 そんなことが頭の中を駆け巡り、自分が何をすればいいのか決めることもできませんでした。


 地震から五日目。ようやく神戸に向かえることに。新大阪で在来線に乗り換え、西宮まで行き、バスで三の宮へ。そして徒歩で避難先の小学校へ。結局10時間ほど掛けて到着。道中、信じられないほどの被害を肌で感じて、気持ちは重たくなるばかりで、何をどうするかなんて、何も浮かびません。ただひとつ母や親戚たちに出会えることだけを目標に歩き続けました。
 彼らに会った時の安ど感は今までに経験したことのなかったもの。全身から力が抜けていくような気持ちといってもいいでしょう。


 状況把握から復旧へ。そして復興、再興へ。
 あの日から18年。長い時間が経ちましたが、あの日からの体験ははっきりとした記憶として今も色あせることなく残っています。
 自分がいかに小さな存在でしかないのかも学習し、そんな存在でも出来ることは何かを知ったような気もしています。そして政治から個人まで総力を挙げた支援と、諦めない気持ち、そして長い時間が掛かることも知りました。


 そんな「運命の日」が今年もやってきました。今、僕は当事者感覚で再度自分を見つめ直したいと思っています。


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