∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

時代を見据えて

【映画の中で】


 日本禁煙学会が映画『風立ちぬ』でのたばこの扱いについて苦言を唱え、それに対して愛煙家団体の喫煙分化研究会が反論を唱えるという論争が起こっています。
 肺結核で臥せっている奥さんの横でたばこを吸う夫をはじめとして、何かというと出てくるたばこを吸うシーンはメディアでの喫煙シーンを禁止した「たばこ規制枠組み条約」や「未成年者喫煙禁止法」に抵触するとする日本禁煙学会と、時代考証表現の自由を尊重すすれば喫煙シーンは妥当とする愛煙家団体、そして意見は意見として聞くべきとする三つ巴の論争になってきています。
 この映画を製作したスタジオジブリからのコメントが出ていない段階での論争ですが、たばこに対しての意見の対立が生んだ典型的な例ではないかと感じています。
 ちなみに、たばこを手放せない僕としては複雑な気持ちでことの展開を見守っています。


 こんな学会があることも知らなかった日本喫煙学会が映画に対してクレームを唱えるのは立場上当然のことでしょうが、どこでもたばこを吸うのが当たり前だった昭和前期という時代背景を考えると、今回の抗議は行き過ぎと直感的に感じています。
 学会のいう「喫煙シーンの扱いは慎重に」という意見を拡大解釈すれば、史実を包み隠す「歴史の操作」につながるものになりかねません。「こういう時代もあった」と認めることで今を見据えることができるはずなのに、喫煙風習を否定したり、覆い隠したりすることでは間違った史実感を植え付けるのみ。また、愛煙家団体にしても、表現の自由を訴えるばかりではワガママな主張と捉えかねません。また、愛煙家団体から出てきた「学会の売名行為」的な発言にいたっては単なるケンカ文句でしかないと感じています。


 喫煙空間の拡大は時代の要請として受け入れるべきものですが、同時に、史実を歪めることはもってのほか。絶対に許されるものではありません。
 たとえ映画の演出だとしても「そこにあったことが容易に想像できるもの」を否定することは歴史を歪めることにつながると確信しています。
 いまだコメントを発していないスタジオジブリが、冷静に事実を受け止めることの大切さを考慮した上で、主張ある意見を出してくれることを期待しつつ、この論争の行く末を見据えていこうと思っています。


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