【本の存在理由】
一冊の本の背表紙を断裁し、表紙から一ページずつスキャン、データ化して電子書籍として保存する。英語ではBook scanningと呼ばれ、日本では“自炊”と呼び習わされてきたデジタル・テクノロジーを専門的に扱う業者に対してひとつの判決が出ました。
昨日9月30日、東京地裁が「自炊代行は著作権侵害に当たる」という判決を出し、原告の東野圭吾、浅田次郎、大沢在昌、林真理子、永井豪、弘兼憲史、武論尊、各氏の訴えが認められました。
よかった。本当によかった。
本が本であることの存在価値を認められたような気がしています。
知識であり、教養であり、教科書であり、箴言であり、思想であり、ドラマであり、エンターテイメントであり……。本には人が創造したあらゆる知識や現象が詰め込まれています。
僕は本に書き込まれた文字や写真や絵は単なる情報の羅列ではないと考えています。同時に本を作る作家や出版する出版社にとっては利益を生み出してくれる生産物だとも考えています。
デジタル・テクノロジーが進歩するなか、書店で買ってきた本でもバラバラににしてスキャンすれば簡単にデータとして取り込めるという考え方に強い違和感を持っていた僕にとって、今回の「自炊は著作権侵害だ」という判決は当然のものと快哉を叫びながらも胸をなでおろしています。
紙媒体で出版されたものとデジタルデータで出版されたものが両存、あるいは紙からデジタルへ順次移行していくのなら、作家や版元の「知的生産物」の存在は守られ、金銭的な利益も守られます。しかし、好き勝手にコピーしたものからは「知の伝播」以外、何も生み出しません。「本を出版して儲けようなんて考えるな」と論戦をはられる方もいらっしゃいますが、作家や出版社は本を出版して利益を出すのが仕事です。無給ボランティアではありません。
そんな仕事に従事する者にとって著作権は自らの存在を守る砦です。
今回の判決はそんな「砦」を守ったものといってもいいと確信しています。
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