この続きはコーヒーと一緒に

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

日本が変わった日

【2016年3月29日安全保障関連法案施行】

 今日、日本の「戦後」は終わりました。経済的にも社会的にも地政学的にも武力を使うことなく平和を求め、安定した世の中を築きあげようと努力してきました。しかし、今日から日本は「戦前」に戻ります。
 安全保障関連法案が施行され、集団的自衛権という名に隠された攻撃的な側面が予想される防衛が可能になったからには、国際的な立場が一変するのは目に見えています。
 今の政権が、いくら攻撃はしない、武力行使の後方支援に徹すると主張して国家防衛の形はこれまでと変わらないと言っても、現実はそんなに甘くないはずです。後方支援部隊、つまり補給線を叩くことは戦いの常道ではありませんんか。
 集団的自衛権を行使するということはことは歴史を振り返れば自明のことです。
 戦争が起こる時、どのような国でも相手国からの武力行使が先だったと主張します。それと同じことが日本でも可能になってしまったのです。ギリギリの状態でどちらが先に理性を失うかにかかっている開戦時、どこの国が日本は自衛しているだけだから攻撃はしないことにしようなんて考えてくれるでしょう。今まさに戦争が起ころうとしている時に理性が働くとは思えません。

 角度を変えて考えてみると、自衛の意味が変わったと言えるのかもしれません。つまり、従来は防御に防御を重ね、どうしてもそれだけでは国家的な危機を招くときに自衛という言葉が使われていました。しかしこれからは、攻撃することを意識した防衛力を世界中どこにでも派遣できるようになりました。つまり、世界のどこにでも前線のすぐ後方には日本の部隊が控え、いつ攻撃を受けるか判らない状況に置かれるようになったのです。

 戦争はいつどこで起こるか判りません。アメリカをはじめとした同盟国がどのような形で参戦し、協力を求めてくるのか。それさえも明確にはなっていません。
 今日から日本は、戦火に晒されることを憲法を盾にして拒否できなくなりました。この変化は日本が戦争への道を歩み始めたという変化であるということを忘れてはいけないと確信しています。

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