∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

休刊! それはないだろう

【最悪の選択じゃないか】

 LGBT批判論とそれに続く擁護論で揺れに揺れていた『新潮45』が休刊してしまいました。これでは相互に持論を展開して議論の成熟を図ることもできません。もっとも失ってはいけない「議論の場」をなくしてしまえば、いわば「言ったモン勝ち」。こんな結末なんて、誰ひとりとして望んではいなかったはずです。
 新潮社なりに毅然とした態度でこの問題を乗り切ってほしいという期待が見事に裏切られるなんて考えもしませんでした。休刊することで逃げ切ってしまうと、

 それにしても、事の顛末には多くの疑問が残っています。まず、論者からLGBT批判論の原稿を受け取った時にどうして拒否、あるいは修正を申し入れることが出来なかったのでしょう。編集部や校閲部だけではなく、経営陣の姿勢を明らかにしてほしいものです。

 いわば「虎の威を借る狐」としか考えられない論者が、自らの立場をポリティカルパワーを使って押し切ったとは思いたくありません。

 論者が反論に対して自ら語らないことにも疑問があります。当初の論は生理的な嫌悪感をセンセーショナルな言葉遣いで、さも理論的なもののように演出して述べた売名行為に近いものだったのでしょうか。
 いまや論者は口を閉ざし、偏向した文章作法で知られる擁護論者だけが前面に押し出されてきましたが、まさか、論者と擁護論者、そして隠れた所でほくそ笑んでいるフィクサーがグルになって「よく言った、傷口が深くならないようにあとは任せろ」というような二段構えの無節操な放言を展開したわけではないでしょうね。
 「出版社としては名があるけれど、舞台にするのは休刊必至の雑誌。いい機会だから、かき混ぜられるだけかき混ぜてLGBTを卑下してしまおう。出版社には何かの時に便宜を図ればいい」。こんな計略に乗せられたわけではないでしょうね。

 出版とは何かとか、新潮社の出版理念とは、というようなことはあえて問いません。問うたところで本音は出てこないでしょうから。しかし、新潮社には社内で議論を重ね、たとえば間近に迫った会社と従業員が間近に対峙する冬闘を期限として総括してもらいたいと思います。同時に出版界全体も「言論と放言の違い」という出版の原点に属するところから意識を高めてもらいたいと思います。

 今回の休刊で僕の頭に浮かんだのは「究極の忖度」「無節操な放言」「権力者層の暴走とそれを許してしまう風潮」「生理的な差別感は暴力的な言葉を使えばいくらでも極論できる」ということでした。
 出版社や編集者が毅然たる態度を捨て去った時に現れる「世論の崩壊」や「思想や議論の危機」を想像するとゾッとしてしまいます。

 現役の編集者諸君には、編集者としての毅然とした態度と出版人としての挟持を再確認することを願って止みません。

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