【覚悟なく「伝える」ことの出来ない世界】
大学時代の友人に卒業以来、コンバットカメラマンとして中東で取材を続けているという男がいました。そんな彼が久しぶりに帰国して間もない時の思い出です。
もともと、現実を厳しく見つめ、正義を追求しようとする意識が強く、写真を通して事実を伝える仕事をしたいと語っていた彼は念願だったコンバットカメラマンになったのですが……。
出会った時の彼は昔の彼とは別人のようでした。強い視線で周囲を見渡すこと。端的だが冷静すぎる言葉。足を軽く前後に開き、ごくわずか斜めに構えた姿勢。今ここに命を脅かすような危険が迫ってきたとしても回避しようという心理がそうさせていたのだと思います。
そんな彼は数年後コンバットカメラマンを卒業して、とある写真週刊誌のカメラマンとして働き始めました。その時、出会ったのは目の奥に優しさを秘め、肩の力の抜けた「昔の彼」でした。
……………
取材中に拉致され、3年数カ月間拘束されてきたコンバットカメラマンが解放されたというニュースが駆け巡っています。
想像でしかありませんが、彼も取材現場、つまり、本当の銃撃戦がいつ起こってもおかしくない戦場にいた時は鋭い視線で現実を見つめながら「今ここにある現実」を我々に伝えてくれていたのだと思います。
拘束され、体験したことのないような恐怖と苦痛の中で生き抜いてきた3年数カ月の間、彼の心の中には拘束されたことと現実を伝えられなく鳴った悔しさや無念さが渦巻いていたのではないでしょうか。
拘束が長引くに連れて、ようやく、自分の命が奪われるかもしれないという危機感や、拷問や強引な束縛に対する恐怖が生まれてきたのではないかと想像しています。
紛争地での取材は文字通り命がけの仕事。命と引き換えにしても現実を伝えようとする真の覚悟がなければ絶対にできません。思いつきや興味本位で出掛けられるものではないのです。
どんなに周到な準備をしても、戦場では危機は突然襲ってくるもの。
死と隣り合わせになった世界でコンバットカメラマンとして働いていた彼の頭の中には「伝えること」と「生き抜く」ことしかなかったはずと確信しています。いや、コンバットカメランなら誰でも同じような心境で赴いているはずです。
……………
そこには、今盛んに言われている「自己責任」や「税金の無駄遣い」などという「平和は空気のようにあって当たり前なもの」という価値観でしか世の中を見ることが出来ない人間が発する、地に足のついていないコメントが入る余地なんてないはずです。
僕は多くの隠れた政治的交渉の末、無事に帰国出来たことを喜ばしく思いつつ、体験した拘束の事実をまとめたレポートが発表されることを期待しています。
[2917]