∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

≡≡ 不適切動画こそ歓迎すべき ≡≡

不適切なのは行為にあり

 コンビニのアイスクリームケースに寝そべるというケースが最初だったと思いますが、床に落とした食材を使おうとしたり、マンションの受水槽で泳いだりと社会的に許されない行為をSNSにアップする事件が相次いでいるのはご存知の通り。
 そのたびに「不適切動画の流出」という名前でニュースに取り上げられていますが、この言葉、たしか外食産業で起こった事件の時に騒動を起こした企業が使い始めたものだったと記憶しています。

 僕は以前からこの「不適切動画」という言葉に違和感を感じていました。

 不適切なのは“行為”であって“動画”ではないはずです。動画が拡散されない限り隠されていたであろう非常識な行動を、自ら白日のもとに晒して“自供”してくれたのだから、むしろ歓迎すべきことではないでしょうか。

 動画投稿など考えられなかった時代、悪ふざけはすべて闇に隠されていました。ところが今や、本人がわざわざ“自供”してくれるんです。これほど手っ取り早い事実確認はありません。
 しかもSNSの場合、従来なら万一発覚しても企業内で内密に処理していたことでも、投稿された瞬間から世界中の人に共有され、行為そのものだけでなく人間性まで否定してしまいます。

 “動画”があったからこそ“行為”が発覚したと捉えれば「不適切動画」ではなく「証拠動画」といってもいいはずです。
 責任を取る立場に置かれた企業が、その動画を利用して、本人や関係者を追求して損害賠償請求や刑事告訴するくらいのスタンスでちょうどいいのではないでしょうか。

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 非常識な行動を起こした本人や関係者が責めを負うのは当然ですが、動画が流出するまで「おバカな悪ふざけ」に気が付かなかった企業も、恥ずべき管理体制を見直すべきだと猛省されているのではないでしょうか。
 しかし、立場の違いに関わりなく「作業に問題はないが社会性には問題がある」という人間はどこにでも隠れているものです。研修の場で「非常識な行動には厳しく対処する」と教育していても、歪んだ承認欲求に取り憑かれた人間がいる限り、問題はいつ起きてもおかしくありません。

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 もし、SNSが社会を変えたのだとすれば、社会と企業の関わり方や企業と従業員との関係も変わっているはずです。動画やコメントが“垂れ流される”のが当たり前の通信インフラを否定せずに「これも従業員管理の一環」と捉え直す時代が来たのではないでしょうか。
 ある意味、SNSが企業の暗黙の了解だったはずの「見せちゃいけない」とか「知らせてはいけない」いう体質を一掃してしまったのかもしれません。

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