“空白の時”が埋まっていくような感覚
旧友と会い、お好み焼きを食べながら四方山話に花を咲かせ、帰りに図書館に寄って書庫の間を歩き回った日曜日でした.
──外出はご近所中心。出掛けたとしてもできるだけ早く帰宅する。電車の中では他人から逃げるようにスペースを探す。食事はひとり。会話はメールかSNSで。読みたい本はアマゾンで買う──。
どれだけこんな生活が続いてきたのでしょう。カレンダーでは約3カ月ということになりますが、気持ち的には信じられないほど長い期間を「孤」の世界で過ごしてきたように感じています。
意識やスタイルに大きな変化があったとはいえ、徐々に徐々に、慣れ親しんだ生活が戻ってきているようです。
たとえマスクが必需品になったとしても、他人との距離感が以前とは違ってしまったとしても、見知った生活がこんなに平穏なもので、実はありがたいものだったとは思いもしませんでした。
コロナは、感染症の恐ろしさとともに、ここまで培ってきた社会構造や経済状態、そして日常生活のありがたさを僕たちに教えようとしているのかもしれません。
まだコロナ禍が続いているなかでこんなことを言うなんて気が早すぎるかもしれません。でも、断片的ではあっても、慣れ親しんだ日常生活を少しずつ取り戻そうとしていると実感するだけで、これまでの“空白の時”が埋まっていくような不思議な感覚に包まれてしまいます。
“空白の時”が充電期間だったとすると、今はアイドリング状態。慎重かつ着実に歩みを進めれば巡航状態に戻り、そうすればスパートも掛けられると信じて毎日を過ごしていきたいと思います。
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