∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

穴が開きそうなソックス

そろそろ穴が開くゾって分かった時のソックスってどうしてる。
僕は、カカトに穴が開きそうなときは即捨てるんだけど、爪先の場合はすっかり開くまで履いてしまうんだ。理由はないんだけど、なんだか穴から指が出たところって妙におかしいと思わない? よくぞここまで履きつぶしたゾっていう極私的な達成感というか満足感があったりもするんだよね。
そう、「モノ持ちがいい」のかもね。
服や靴だけじゃなく、文房具なんかも含めて身の廻りのものはとことん使い切って、捨てる時は「これまでありがとう。さようなら」って言葉とともに捨ててる。長い人生のひとコマを一緒に過ごしたモノたちには「感謝とお別れ」がしたいんだよね。一緒に生きたモノには人格ならぬ「モノ格」みたいなものが備わってしまっているようにも思うしね。
人間同士やペットとの付き合いだと、本当に忘れたり捨てたりってことは少ないと思うんだ。付き合わないと決めても、どこかで顔を合わすことがあったりウワサを聞いたりするし、亡くなった人のことなんていつまでも心の中で生きているものね。つまり完全に切れないワケ。
それに対してモノは捨てればそれで終わり。良くても記憶の中にしまいこまれるだけで、どこかで現れたりしない。つまり捨てた時が本当の「別れ」だと思うんだ。
実は、僕は送別会なんかでも絶対に「さようなら」って言わないんだ。僕が言うのは「これまでありがとう。またいつか……」って言葉。どこかで出会うこともあるだろうし、なにより僕の心の中ではいつまでも「そこにいる人」だからね。
そんなことを考えながら、寿命が来てしまったTシャツとソックスを大量に捨てようとしている。よくぞここまで付き合ってくれた、ありがとうって言葉とともにね。