∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

ブランド好きですね

とある喫茶店で。「あの人ってブランド好きなのよ」という言葉が聞こえてきた。褒め言葉ではないようだ。よく聞いていると、見栄っ張りで無駄遣いの多い浪費家というような意味のようである。
ここで使われていた「ブランド」という言葉は、世界的に有名、高価格、ひと目見て分かるロゴマーク、などが定義付けの要素のようである。
仕事上、かなり長期間に渡って「ブランド」応援団のひとりだった僕にとって気がかりな話である。盗み聞きが悪いこととは知りながらついつい聞いてしまった。どうも単純に納得できないのだ。生活必需品の話ではなく、趣味の問題なのだから、何にお金を使おうがいいと思うのだ。きっと揶揄された人は、それを買う余裕があるから買ったのだ。と思いたいのに。
それを身に着ける人を選び、長い年月を掛けて最高の作りを追求し、着実に足場を固めてきた服、靴、バッグ、ジュエリー、小物……。それがブランド、業界的に言うとファースト・ブランドとか、ハイストリート・ブランドと言われるもの定義ではなかったのだろうか。
トレンドセッターとして欠かせないブランド、決して手を抜かず否の打ちようのない仕上がりを認められたブランド、身に着ける人のステイタスを表すブランドなどそれぞれ性格はあるが、どのブランドも頂点を極めたものだけがもつ風格が備わっている。
それが、どうしたわけか、誰もが高価なことを知っているのでお金持ちに見えるという成金趣味や「あこがれ人種」の愛用品になってしまったところからブランド志向が歪んできた。
そのアイテムの本当の良さや上質さを理解せずに名前だけで選んだため、アイテムが一人歩きしてしまい、着ける人が情けなく見えることがある。つまり、人物がモノに負けているのである。
車にも食器にも「ブランド」がある。しかし、日本の伝統工芸のなかには一般的に言われているようなブランドはない。あまりにもかけ離れた世界のアイテムだし、宣伝もしていないから本当に知っている人しか評価もできないのだろう。
安価だが、トレンドセッターの役割を充分に果たしている新参もある。
「ブランド好き」の人たちは、こんな多種多様なブランドをどう評価しているのだろう。どんなにトレンディでも安いから評価しないのだろうか。揶揄としての「ブランド好き」という言葉は趣味の世界や伝統工芸には適応されないのだろうか。単純に浪費家への当てつけなのだろうか。
ブランドやそのアイテムを見栄っ張りや無駄遣いの代名詞のように使う風潮は、どうしても僕には理解出来ない。そのアイテムのことを知れば知るほど、良さが分かり、欲しくなるというように考えてはいけないのだろうか。その人の収入や地位が反映されたアイテムを選んだら、偶然ブランドものだったというのが、本当なのではないだろうか。
今の僕にはブランドに手を出す資金力はない。しかし、上質なものに惹かれ、敬意を払うというマインドは以前より増していると言ってもいいくらいだ。そしてここ数年、人知れず生き抜いてきた「僕だけのブランド」をいくつも見つけたような気がしている。
[本日で連続0080日]