∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

旅立ちの時

◇初めて南千住に行った。友人もいないし、仕事上で訪れることもない。僕にとって南千住はそんな街だったが、偶然にも行かなくてはならなくなり、重い腰を上げることに。
◇いつものように自転車で行こうと地図で確認しながら出発。目的地までは、さほど迷うこともなく行きつけたのだが、現地近くで“いつものように迷子”になり、うろうろしているうちに「素盞雄(すさのお)神社」という大きな神社に行き当たった。
本殿でお参りするまでは「大きな神社だな〜」という素朴な印象しかなかったのだが、境内をうろうろしている間にこの神社が歴史的、文学的に非常に重要な意味のある神社ということが分かり、こんな偶然もあるのだな、と妙に感慨深くなってしまった。
元禄時代俳人松尾芭蕉が『奥の細道』を表す旅に出立すべく庵のあった深川を後にし、いざ江戸を離れるという時に訪れた地が千住だった。つまり、千住は日光街道の最初の宿場。ここまでが江戸で、ここからは日光路という境界の街だったわけだ。
◇ここで読んだ句が「行春や鳥啼魚の目は泪」(出立の時、春の日に鳥は鳴き、魚は涙を流す)。
そして、句文が「千じゆと云所にて船をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさがりて、幻のちまたに離別の泪をそゝぐ」というものだった。深川から隅田川を船で千住へ。この地でこれからのことを思いながら別れの時の涙を流す、といったことだろうか。
その出立の時に立ち寄った(らしい)神社がこの素盞雄(すさのお)神社だった。
◇正直な所、松尾芭蕉に関しては高校で習う程度の知識しかないが、あの名作の旅が始まった地に偶然立ち寄り、句を残した(らしい)神社で純粋にお参りをしたということに思わず驚いてしまった。
となると、何か縁があるのかとか、何かの予兆かとか思ってしまう僕のこと。
つまり、松尾芭蕉が旅立った地に偶然訪れたということは、僕にとっての旅立ちの予兆ではないか、と思ってしまったのだ。なんとも「縁起担ぎ」もここまで来れば要注意である。
それとも、僕の深層心理が、よほど旅立ちの日を待ち望んでいるのだろうか。
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