∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

僕なりのポジティブ・シンキング

ツイッターから。
『あまり悲しんだり、苦しんだりしないでください。被災した私たちにとって被災しなかった人たちがそうだと、もっと辛くなります』。
『避難所の中で。「これからどうすればいいんだ」という老人の声に「僕たちが社会に出たら必ず立て直します」という若者の声が』。
『ホワイトデーのお返しは3倍返しだって。ちょっと高すぎるだろう。その金額があれば。そうだ義援金にしよう』。
◇昨日まで僕は今回の「津波地震」と、神戸の地震や、隣家が火事になり避難したことや、自分が人生の中で大失敗をしてきた事などと重ね合わせて考えていた。
しかし、今朝起きた瞬間、フッと考え方が変わった。
◇次々と新しい情報が入ってくるテレビ報道を見ていると、どうしても悲壮な気持ちになったり、何かやらねばという義務感ばかりが先走っしたりしていた。そして、物事を悲観的に考えてしまう瞬間が何度も襲ってきていた。
これではダメだ。実際に被災した人たちのほうが生きることに真剣で前向きじゃないか。もちろん、漠然とその日その日を過ごしていくことではない。これまで同様、早く前向きな思考のベクトルに戻さなければと、目覚めた瞬間に気づいた。
◇僕には僕の思考回路がある。厳しい視線で批評することや、行動を誇示することは僕には似合わない。
以前、いろいろな立ち位置で批判を繰り返す人たちに囲まれながら、厳しいノルマをクリアしていた時、僕は「鬼」のようだった。力を競い誇示しなければ生きていけなかった。
そして心はボロボロになった。
その仕事から離れたときの「あんな自分には戻らない。人と人との間でクッションや潤滑油のような存在でありたい」という固い決心を思い出しながら今の日本を見つめていると、応援や声援の中に誇示するための厳しい批判が見え隠れしているように思えてきた。
◇企業や団体の倫理観に縛られている人たちもいる。エキセントリックなコメントで自分の価値を釣り上げる時と割り切っている人もいる。真正面から被災者を助けようとしている人がいる。人を助けることの重要さを知っているサイレント・マジョリティがいる。
僕は僕。もっと純粋に、被災した人たちに何が出来るか考えてみよう。もっと、自分に正直になろう。時には、ボケて笑いを誘い、生真面目に目尻を釣り上げて生きている人たちから罵倒されたり冷笑を浴びたりしてもいいじゃないか。世の中の裏を読むばかりで、人間の素晴らしさを見過ごさないようにしよう。
経験と希望を込めたツイッターのハンドル名「nonkiOYJ」どおり、ノンキ(そうに見える)オヤジが僕には似合っている。そして、被災した人たちに心の底から「がんばって」と言おう。
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