∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

先人の知恵

◇時間があれば津波地震のニュースを見ている。
発見された人、死亡が確認された人。避難した人々の現況。支援物資の行き渡り具合い。原子力発電所放射能のこと。買い溜めではない買い占めのこと。政府の対応、大企業の姿勢と論理、市民感覚。報道の姿勢と内容。何もかもがいろいろな意味で気に掛かる。もちろん、これから自分はどうすべきかも考えてしまう。
◇それにしても、今回の広域災害でも「先人の知恵」はフル活用されていないように思う。特に被災した人たちをいかにして救うか、という永遠の課題がクリア出来ないようだ。
激甚災害の場合はこれまでとは違う様相を呈する。積み重ねてきた知恵がそのまま活かされないことも多いだろう。だが、根本は同じはずだ。出来る限り早い現実対応を心掛けて、応用を利かせばほとんどのことはクリア出来ると思うのだが、しろうと考えだろうか。
むやみに救援車を送り込まないとか、個人レベルの救援物資支援はせずに義援金を集めるようにしたりとか、災害直後の救援は専門家に任せ、ボランティアは支援態勢がまとまり始めてからにするとか。もちろん、準被災地での買い占めや詐欺、悪徳商法の発生もそうだ。
行動面だけを見ていると、これまでの激甚災害の経験から学び取った先人の知識は生かされたようだが、根本の「現実即対応」はいかがなものだろう。どうも、もどかしい。僕のように何も手出しが出来ない人間は報道を見て納得と疑問が交互に脳裏をかすめてしまう。
◇ただ、原子力発電所放射能の問題に関しては、怒りに似た苛立ちしか感じない。戦後、日本は何ををしてきたのか。唯一、被爆の恐ろしさを体験した国という言葉は言葉でしかなかったのか。恐ろしさを知っているからこそ出来ることがあるはずだ。想定される数倍の自然災害にも立ち向かえる強固な建造物はいうまでもなく、万一の場合に備えた救急態勢や、運営の健全さをチェックする機関。何から何まで恐ろしさを知っていればこその態勢が出来たはずなのに。
企業のプライドを死守することと、自己保身を優先する大企業の幹部。存在するだけで説明責任も指導も中途半端な政府機関とそれをサポートする独立行政法人
現実即対応の法則でいけば、もっと早く適切な対応が出来ただろうに。
もう、遅い。彼らや彼らと同様な考え方をしている限られた層がコントロールし、マネージメントしている限り日本は変われない。
せっかく新しいテクノロジーが開発した道具や手段ができて、不特定多数の人間がサポート出来る態勢が出来てきたのに、リーダーシップを取るべき人間の保身や甘さはまったく変わらない。
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