∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

怒りんぼう復活の時

◇昨日のブログで『僕は怒らなくなった』と書いたが、正直なところ、この数年で1回だけ本当に怒りを爆発させたことがある。ただ、僕にとっての怒りの基準が少し違うようなので、僕のことをよく知っている人なら、1回というのを疑問に感じるかもしれないが、そこのところは自分流。基準に関しては勘弁してもらおう。
 しかもその怒りというのが自分に対しての怒りなので、本当に怒りといえるかどうかは微妙なところで、厳しく自分を諌めたというほうが正しいかもしれないが、やはり自分に対しての強烈な怒りとしか言いようがないと思っている。
◇怒りの矛先を自分に向ける。これほど辛いことはなかった。とにかく怒っても怒りの対象が自分だけに、当たり前だが、すぐ反省するし、反論もしてくるのだ。つまり極限状態の自問自答である。 ◇出版社を辞めて慣れない事業に乗り出した。そして失敗した。すべてをゼロベースで考え直さないといけない状況に追い込まれた頃の話である。
 単純に自分の失敗であれば、まだあきらめもつくが、事はもっとドロドロとしたもので、その兆候さえも見逃していた。ちなみに、その時の事態の経緯は、いま思い出しても怒りが込み上げてくるので、心の中に封印している。
◇当時僕は、毎日、怒り、批判し、反省し、悲観に暮れていた。その怒りの狭間で、打開策を考えるのと同時に、この世からの去り方も考えていた。
 まさに、生涯初めての経験だったが、あの時の経験がなければ、今の僕はいないと思う。この年になるまで何をやってきたのかと自分でも反省しているが、それでも、遅ればせながらも少しは成長したと思っている。
◇ところで、僕の怒りの基準が少し違うと最初に書いた。僕は「権力を振りかざす人」「正論だけで人を言い負かそうとする人」「間違いを素直に認めない人」「自分の利益だけを主張する人」。そんな人には厳しく接する。直情的に心の中のスイッチが切り替わると言ってもいいかもしれない。
 そして、このスタンスは変える気はない。こんな僕のことを「世渡りが下手」だとか、「いつか痛い目に会う」とか言われることもあるが、そこまで「懐の深い」人間になる気はない。同時に、これまでに出会った「絶対に認めたくない数人」のことは、出来ることなら、すっかり忘れ、出会っても無視してしまいたいと思っている。
◇さあ、こんなコメントを文章にするのは今日で終わりにしよう。明日からは、元通りの「のんきなオヤジ」に戻ろう。
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