∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

春眠暁を覚えず

◇『春暁春眠不覚暁、処処聞啼鳥、夜来風雨声、花落知多少』。
 7世紀の唐代の詩人、孟浩然(もうこうねん)が表した『春暁』は冬が去り、温かくなった春の表情を捉えた五行絶句である。春暁といってすぐに分からなくても、「春眠暁を覚えず……」というフレーズを聞けば、誰でも思いだす詩である。
 簡単に現代語に訳すると、『春の夜の眠りは心地よく、朝が来たのにも気づかなかった。あちこちで鳥が啼くのが聞こえる。昨夜は、雨まじりの風が吹いていたが、花はどれくらい散ってしまっただろうか』ということになる。
 なかには春になると、夜明けが早くなり、冬のように夜明けとともに起き出せなくなった、という訳もあるようだが、それでは風情がないように思う。
◇僕なら「春になると、気候が良くなったせいか、寝起きが遅くなる」と訳したい。と同時に「春はいつも眠い」と大胆に意訳してしまいたいのだが。いかがなものだろう。
◇今日は、とにかく眠かった。ポカポカというよりも熱いという陽気になった今日、午前中から自転車でウロウロしていた僕は、昼ごはんを食べた後、ついウトウトと……。起きたら夕方近かった。結局3時間ほど昼寝をしていたようだ。ちょっと長い。午後もウロウロと出かける気でいたのだが、起きたら頭はボーとしているし、身体もグダーとしている。もう、スッカリ出かける意欲がなくなっていた。
◇ということで、春眠暁を覚えずの意訳として、昼寝の時間も追加してはいけないだろうか。つまり『とにかく春は眠い。鳥が鳴こうが、雨が降ろうが眠いものは眠い。花が落ちたなら来年まで待とう』と、ここまで大胆不敵に意訳してしまいたいのだが。
 もちろん、訳として成立していないことは重々承知。原文にないフレーズまで追加してしまっているのだから根本的に失格であることも分かっている。だが、この春先の眠気を表すのにこれほど最適な詩はないのだ。無理を承知で勝手に昼寝も追加してしまおう。決めた。
◇ようやく、寒かった冬が去り、温かくなって筋肉がほぐれ、気持ちも晴れやかになり、すべてがウキウキ、ノビノビし始めたのだ。長めの昼寝くらい、なんてことはない。
◇こんな日があってもいいじゃないか。長期間の緊張は、精神的にも肉体的にも、強いストレスを生む。どこかで息抜きをしなければ、思いもよらない事故や無用な諍いを生む。
◇僕は東京で昼寝した。被災地の皆さんも、厳しすぎる状況だからこそ、是が非でも息抜きの時間を作って「クールダウン」してください。復興が本格化し始めた今だからこそ、一瞬だけでいいのでゆっくりしてください。お願いします。
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