∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

文化の再浮上

【4月19日分の文章後半を誤って削除しました。その部分の概要も加えた文章をアップします】
◇日本の古典美術が、何故こんなにボストン美術館に所蔵されているのだろう。20年近く前の僕にとっては「素朴な疑問」だった。
 ひょっとすると、アメリカ人が資金にものを言わせて買い集めたのだろうか。節操のない日本人がいたのだろうか。そんな、悪意のある疑問も浮かんできた。
◇しかし、真実は違っていた。明治維新後、急激な西洋化を目指していた日本は、自らの貴重な文化財の価値を見誤り、見捨てるように見識あるアメリカの蒐集家に売り渡した、というのが正しいようだ。
 だからこそ、東京藝術大学を創立後、岡倉天心ボストン美術館の日本美術部長に就任し、作品の保護や蒐集に努めたのだろう。
◇その後、日本美術の見直しが行われたが、またもや、日本人は自らの文化を切り捨てようとした。 占領体制が終わり、日本の主権が復活した昭和30年代。女性の社会進出が本格化し、所得倍増計画が実行され、東京オリンピック開催に向けて邁進し始めた時代。今度は女性の洋装化に拍車がかかるようになる。そして、この時「着物」の文化的な発展は終わった。
◇どうも日本人は、国の体制が大きく変わる度に、それまで築き上げてきた文化を否定しないと新時代を築くことはできないと思ってしまう気質があるようだ。それも築き上げてきた素晴らしい文化を、いとも簡単に切り捨てる。
 しかし、もう止めよう。築き上げてきたものには、切磋琢磨の中で生き残った「失ってはいけない真髄」が宿っているのだ。
◇確かに、文化とそれを支えてきた技術は、時代とともに新しいものに脱皮していくもの。古いと感じたものはドンドン忘れられていくのが常で、それらは「教養としての歴史的文化」のジャンルに置かれることになる。
 それでいいのだろうか。学問的、産業的を問わず、古典文化を大切に守り、継承することに一生を捧げた人も多い。
 ひょっとすると、かの岡倉天心も日本文化を継承させるための究極の選択をしたのかもしれない。 残念なのは、僕も含め、あまり意識したことがなかったということ。僕は、もっと早くにその素晴らしさに気付くべきだったと、今では切実に感じている。
◇だが、失われたものは帰ってこない。今、必要なのは日本ならではの文化を生んだ精神や技術である。形はなくなっても技術は残る。失われた技術も復活させることができる。それがトップレベルのクラフツマンシップだと確信している。
◇伝統的な文化や工芸技術を現代のデザインの中に生かした「古典を知った斬新」に仕上げることで、日本文化を再評価し、急拡大させる時代がいつ来てもおかしくないと僕は思っている。
 新しいものは絶対に必要だが、伝統的なものも忘れてはいけないはず。精神的な豊かさはこんな古典と新しいムーブメントの共存から生まれるのだから。
 出来ることなら僕自身がそのムーブメントの推進者のひとりになりたいくらいである。
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