∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

卒業と再会

◇長年携わってきたことから卒業し、違った人生を歩み始めた時の決意ほど固いものはない。なにしろ、せっかく作り上げてきた「道」から、まったく新しい「道」へ乗り換えようというのである。これほど、勇気と熱意がなければ必要なことはない。
 どんなに辛く、厳しい道であっても道は道。それがいかにコンディションのいいものであったかは、そこから離れてみないと分からない。
◇新しい人生への踏み出し方には大きく分けて三種類あるように思う。
 ひとつはこれまでの人生の延長線上に新たな人生の道を作り始めるもの。二つ目は、携わってきたことと並行させた「道」を作るタイプ。そして、最後はこれまでの「道」を閉ざし、まったく新しい「道」作りに挑戦するタイプである。
 僕は新しい人生に踏み出した時、三つ目の新しい「道」作りを選んだ。情けないことに走り始めて間もない頃につまづいてしまったこともあり、周囲の人からは、目に見える成果を上げるのに苦労しているように思われている節がある。確かに体力も実力もない「裸の自分」に戻った人間がやり始めたこと、上々な滑り出しといく訳がなかった。しかし、自分では歩みのスピードは遅いものの、着実に前に進んでいると実感している。
◇そんな僕が、思わぬことから以前、仕事内容の一部にしていたことに関わると、いつも「懐かしく、のめり込んでしまう」ことに驚いてしまう。それが20年も前に卒業したと思っていたことであってもそうなのだ。
 僕が以前携わっていた仕事は、かなり多方面の動きと知識を必要としたものだった。そのため、今でも、多くの仕事と直面する時、周囲の人から「どうしてこんなことを知っているのか」と聞かれることも多い。僕はいつも「どうしてでしょう」とか「身体が覚えているので」というようにあいまいに答えるようにしている。
 何故か。今の自分と以前の自分に一線を画したいという強い思いがそうさせている。しかし、どんな時でも、心の中では「楽しい時間がやってきた」とつぶやいている。
 かといって以前の仕事に再挑戦するほどの熱意はないし、当然だが、周囲も期待はしていない。それでいい。「今は今。自分は自分」である。
 明日も、そんな懐かしい作業に没頭することになりそうだ。よし。思い切り楽しんで、出来るだけ成果を残してみよう。
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