∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

≡≡ 復興を妨げる心ない悪意 ≡≡

真の障害は邪心にあり

『大したことはないのに大袈裟に言って義援金をせしめようとしているらしい』
 →6,000人以上の方が亡くなり、見渡す限り焼け野原になった地域も多かったというのに、大したことがないとは。ちなみに半壊だった我が実家が受け取ったのは修繕費として市から支給されたのは10万円だけでした。

『援助で駆けつけた業者に無料で片付けをやらせているらしい』
 →無料で配られていたブルーシートを1枚1万円で売りつけたり、屋根瓦の修理を100万円で請け負ったまま、何もしないで雲隠れするような悪徳業者がほとんどでした。町内の掲示板や電信柱に無許可で貼られた広告の下には「瓦礫の撤去は区役所か自衛隊に申し出てください」とか「ブルーシートは無料で配布しています」というような区役所からのお知らせが貼られていました。

「行政は庁舎の復旧を優先してほかの事は自衛隊にすべて任せているらしい」
 →県庁をはじめ役所という役所の修復は、散逸した公文書を整理すること以外、瓦礫のほとんどが片付いてから行われました。罹災証明の件で訪れた兵庫区役所で被害状況の把握や市民サービスの処理などに追われ、一見して、風呂も入らず睡眠も取らず働いていると判る署員がフラフラになりながら働いている姿を目撃した僕は彼らに声を掛けることが出来ず、頭を下げるだけで帰ってきてしまいました。

「略奪、暴行、性暴力。神戸の悪タレはやりたい放題らしい」
 →家が焼け、家族を失った多くの人々が多いなかで、強い精神的ダメージを受けたごく一部の人間以外、誰もが目の前に広がった惨状を復旧させるべく活動し続けていたというのに“知ったかぶり”は……。事実に目を背けて悪意という名の媚薬をまぶした話を創作して自らの優位性を示そうとしたかったのでしょう。

「家がおっちん(座る)してしまいましたと言って全壊したのを喜んでいる」
 →身の回りに起こったことがショッキングであればあるほど笑いの成分を加えてショックを和らげようとする関西人ならではの性格を非難の矛先に向けて、泣き叫んでいないのはおかしいと決めつけたかったのでしょう。

……………

 25年経ってやっと、僕が勤めていた会社内で聞こえたウワサの中で今も覚えている5つのエピソードとその真実を書きました。

 僕はあの地震で本質的な人の心の表と裏を知りました。

 悪意ある捏造がいかに自己優越性を満足させるものなのかを身を持って知り、「他人の不幸は蜜の味」ということわざがいかに的確なものなのかも知りました。

 大災害のあとには「囁かれた途端に大きな声に変貌する」デマやウワサ、捏造などが蔓延するとはよく言われることです。その端的な例がSNSが一般的になってから起こった東日本大震災だったことはご存知の通りです。

 しかし、誰もがこの現実を収束させるノウハウを持っていなかった25年前は、悪意あるウワサもデマも何もかもが言いたい放題の垂れ流し状態だったのです。

 そんな状態をそのままにせずに“否定する報道”にも注力しようと報道陣が動き始めたのが東日本大震災だったのではないでしょうか。
 デマや捏造は許さない。「神戸の失敗は福島で取り戻す」。報道陣はあるべき道を歩み始めたようですが、市井の人々にどれだけの意識改革が起こっているのか…、疑問が残るところです。

 復旧・復興に向けた整備や公的援助のシステムが充実していくなかで、もっとも復興を妨げるのは“人の心に隠された邪心”である。25年経った今、僕はそう断言します。

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