∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

エリアマップ

◇僕は、あえて迷子になりながら散歩するのが好きなのだが、実はそんな時でも、地図を持って歩いていることがほとんどなのだ。初めての所はもちろんだけど、ご近所以外、あまり確信が持てない地域に行く時は必ず持ち歩くようにしている。
 ところが、ここからが僕流なのだが、その地図を見ながらウロウロするかというとそうではないのだ。歩いたり、自転車に乗ったりしている時はほとんど見ない。
 見るのは、歩き疲れてコーヒー・ブレイクをする時。ショートカットがなかったかとか、少しルートを変えれば見所があったのでは、というようにコーヒーを飲みながら、ここまでのルートを検証するのが楽しいのだ。
 同時に行ったところにはグリーンのサインペンでマークやメモを入れる。次に来た時、そのメモを見ながら、「あの時はここを通ったんだ」といった「小さな想い出」に浸ることもある。
◇僕が愛用していたポケットマップは、隣家が火事になり、自宅が水浸しになった時にほかのものや本と同様、びしょ濡れになり、修復不可能になってしまった。ということで、今使っているのは、まだ新しい。何年かに一度、買い替えるので何代目ということは分からないが、東京23区のものでも数冊目になる。
◇そんな僕が、まったく地図を見なかった街が震災直後の神戸だった。
 当時の神戸には、道らしきものはあるのだが、見渡す限りの焼け野原になり、目印にしていた家や商店がすべてなくなり、地図を見ながら歩いた軌跡を検証する意味がなくなった地域が数多く存在した。
◇地図を見ると大きなビルや公共施設は必ず文字表記されている。近頃の地図だとコンビニも表示されている。ドライブマップならガソリンスタンドや高速道路の入り口も表示されている。
 ところが、当時の神戸では、その表示がまったく役に立たなかった。ガレキと化したビルの残骸を見て「たぶん、ここだ」と見当をつけるくらいがせいぜいだった。
◇僕はまだ行っていないので、テレビで見た風景で想像するしかないのだが、今回の津波ですべてが流されてしまった地域は、あの頃の神戸より数倍ひどい被害を受けたと実感している。
 建物がなくなり、道はガレキで埋め尽くされ、完全に「いつもの街」がなくなった。
 自宅を探すのに玄関や風呂場のような床がコンクリートで出来たところを探すしか手がない。熟知しているはずなのに方向感覚まで失ってしまいそう。何もない場所で迷ってしまうという不思議な体験だってしてしまう。今、東北に被災地はこんな感じではないだろうか。
 この空しさや寂しさは、実際にそこに住んで被災した人間や、故郷や活動場所として頭の中に地図が埋め込まれている人間でないと分からないと思う。
◇僕の場合、数年後、神戸に新しいビルや家が立ち並ぶようになってからは、あまりオロオロとすることがなくなった。もちろん、綺麗な建物ばかりに代わってしまったし、商店だって変った。それでも、違和感はあるものの、意外と迷わずに歩けるようになった。
 当時、僕は、街の復興とは人に笑顔が戻り、街に建物が建ち、道が道として機能するようになることを言うのでは、なんて思ったものだ。経済的な復興がどうこうというのは新聞を読めば分かる。でも、街と人の復興は、実際に街を歩かなければ分からない。
 どんなに建物や商店が変わっても、道さえあれば、元の街の印象は残る。そこに建てられた真新しい建物こそ、そこに住む人たちの努力の結晶、いや勲章だと、僕は確信している。
 僕のような非力な人間に何が出来るわけではないが、手伝えることがあれば手伝いながら、何年か先に被災した人たちが自分たちの街を作り直し、イキイキとした生活が繰り広げるようになる日を、僕は楽しみに待っている。
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