∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

何も「ない」から、いま必要なものへ

◇最愛の人が亡くなった。住んでいた街がなくなった。住んでいた家がなくなった。仕事がなくなった。食べるものがない。着るものがない。連絡手段がない。息抜きのしようがない。誰を信じていいのか分からない。
 今回の大震災で被災した人々にとっての復興は数えきれないほどの「ない」を無くしていくことがスタート地点だ。
◇政府、国、地方行政、事業者、公的機関などは大きな視点で復興に向けて進み始めている。
 なかには「政府と政治」「電力会社と原子力関係者」のように復興の中心に立たなければいけないはずなのに、影の力が強大なプレッシャーを掛けているのが見え隠れし、ギクシャクした対応やもどかしい動きが目立ちすぎ、復興へのジャンプの妨げになっている機関や団体もある。しかし、これはいつものこと。どんな問題が起ころうと必ず自己権益を優先させてきた彼らは、今回も同様の動きをしているとしか見えない。
 逆説的に言えば、必ず形は作るが、市民が満足する結果を引き出せない彼らは、きちんと監視して反論すべきところは反論するというスタンスでいることが重要で、それ以上のなにものでもないと僕は考えている。
◇それよりも、被災者に直面しながら日々の生活をサポートしているボランティア活動の今後のほうが気になる。あらゆる問題をクリアしながら活動を続けていくためには、理想を追い求めるだけでは追いつかない。本当に必要とされるものを長期間継続的にサポートしていくためには、綿密なリサーチとバックアップ体制が必要なはずだ。
◇ここまでの2カ月ほどは初期段階で、何が何でもとにかくサポートしようという手探り状態で上手くいったことも、状況が少しずつ落ち着いていくに従って、各団体の組織力が問題になってくると僕は考えている。
 つまり、現地との密接なつながり、スタッフ間の意思の疎通、そして持続できるだけの資金調達力。活動の根幹を為すもののうち、どれか一つでも欠けただけで、活動休止という最悪の事態を招きかねないと思うのだ。
◇僕は、活動を見直し、現地の人たちの生の声を生かした「何か」を企画するべき時に来たと感じている。
 何も「ない」状態から脱却するために何が必要かが分かれば、自ずと解決策が見えてくるのではないだろうか。そうすれば、資金はどうやって調達するか。スタッフや賛同者などの「メンバー」の意思統一も図りやすいだろう。
◇昨日から僕の頭の中では、何をやるにしても資金調達をどう解決させるかという問題が渦を巻いている。何かを成し遂げるためにはどうしても資金が必要だし、スタッフだって自分の生活のことを考えなければいけない。
 この問題をクリアしない限り、ボランティア活動の新たな地平は見えてこない。
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