∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

優劣の差は資金集め?

◇ボランティア活動を支えるNPOを運営していくのに最も大切なのは資金集め、と明言する人と話す機会があった。
 決して裕福でもないし、事業が順調すぎるというわけでもない彼だが、本業と一線を引きながら地道にNPO活動を続けているという。その彼がいろいろな活動に没頭してきた結果、ボランティアは資金調達力によってその規模と内容が決まるというのだ。
 つまり、何が必要とされているかとか、誰をサポートすべきかという問題は、いわばソフト。そのソフト面を充実させるためのハード面でクリアしなければいけないのが資金調達だというわけだ。このテーマがクリアできないと活動そのものが持続できないという。
◇やはり、一般的な事業展開とNPO活動は、経営する立場から見れば同じような悩みを抱えていることになる。あえて使うが、利益を得るタイミングが活動の前か後かの違いと、純利益を出すか出さないかの違いだけのようだ。
 きっと、こんなことはNPOを運営していれば当たり前のことだと思う。学問的に勉強すれば、すぐに分かることだとも思う。そんな簡単なことをようやく僕は理解した。
◇実は、もうひとつ素朴な疑問がある。NPO活動ではサポートを受ける人たちからお金を頂戴してはいけないのだろうか。
 というのも、極端な低価格で商品やサービスを提供し、運営費を引いた純利益を義捐金として別途寄付するというようなスタイルはとれないものかと思っている。
 今回の大震災もそうだが、やむを得ず提供されるものだけで生活しなければならない時期を過ぎれば、前向きな姿勢を取り戻した人から、順次元の生活への復帰を考え始める。
 その中には消費行動も含まれるはず。たとえばフリーマーケット的な催しをやってもいいだろう。被災したした人に何かを買う楽しさを思い出してもらうことだって立派な活動だと思うのだが。何から何まで無償提供でないといけないのだろうか。
 同時に提供される側もそれで満足できるのだろうか。特に仕事が再開し収入が見込めるような段階になれば、ついこの間まで持っていた一般的な生活感やプライドも復活するはず。そうすれば「稼いだお金で生活を楽しもう」という当たり前の感情も復活するはずだ。
◇今回の大震災でいえば、今はすべての面でのサポートを必要とする時期から、自力で立ち上がれる時への移行期に差し掛かり、まさに混沌とした時期といってもいいだろう。
 ボランティアのベクトルも、生活基盤や、医療、法律などの持続したサポートが必要なものと、生活の潤滑油的な役割を担う衣食の部分を分けて考える時に差し掛かったのではないだろうか。
◇資金とニーズのバランスをどう調整するか。NPOの運営も、数カ月後に表面化するであろう「変化の時」を見据えた取り組みが必要になってきたと感じているのは僕だけだろうか。