【吉村昭氏の本を読みながら】
先ほどまで日暮里で生まれ育った作家、吉村昭氏の自伝『東京の下町』(文藝春秋刊)を読んでいた。今、僕が住んでいる荒川区ゆかりの作家というだけで読み始めたのだが、戦前から戦後にかけての東京の下町の様子を鮮やかに描写したもの。永井荷風や樋口一葉が描いた下町風景と違い、平均的な暮らしを営む人たちの風景が描かれた一冊である。
読み始めて驚いたのは、ここに描かれた風景と僕が神戸で過ごした少年時代の風景の一部が重なっているということだった。ざっくりと言うと25年〜35年も時代が違うし街も違う。つまり、吉村氏は僕の母の世代なのだ。それなのに、少年時代の風景を思い出しながら「そうだったなあ」と懐かしく思いながら読み進んでいった。
読み進んでいくうちに東京大空襲の話が出てきた。僕の知らない時代である。
そこに
『その時、父が家から出てきて、「おれは震災(関東大震災)を知っている。お前一人で消せるものか。何も持たず、谷中の墓地に逃げろ」』
という一文が出てきた。
当時少年だった吉村氏は焼夷弾でやられたご近所の家をバケツひとつで消そうとしたらしい。それを見た父上の言葉である。
また、こんな一文も出てきた。
『さらに父は言葉をつづけ、「なにがいけないかと言えば、荷物だ。大八車で家財を持ち出す者が多かったが、それが道をふさいで燃え、延焼の大きな原因になった。肩に風呂敷包みを背負った人も、その包みが燃えた。今後、大地震があった時は、手ぶらで逃げろ」』
また、『「いつの時代にもお調子者がいる。そのような連中が、お調子にのって騒いだのだ」』という一文にも出会った。
【津波のときは「てんでんこ」】
今回の大震災で壊滅的な被害を被った地域にも「津波の時はてんでんこ」という言葉があったと聞く。大津波が来た時は、取るものも取りあえず、ひとりで逃げろという意味だと聞いている。
また、現地では当初、空き巣狙いなどの犯罪に走る者もいたようだし、インターネット上では流言飛語やデマが飛び交っていた。
つまり、関東大震災でも空襲でも、神戸の地震でも、今回の大震災でも危機的な災害に出会った時の対処法や人間の心理は同様。災害の規模や状況は違っても、「逃げる時は手ぶらで一目散」「逃げた後は冷静に」というシンプルな原則は変わらないわけだ。
【降りかかった危機とジレンマ】
愛する人を残して一人で逃げるわけにはいかないとか、財産やお金を持たねば避難できないという人間として当たり前の心情を抑え込んで自分だけ生き残ることほど辛く苦しいことはないはずなのに、そうしなければ生き残れない。これほどのジレンマを体験することはよほどの事でない限りないだろう。
災害ではないが、僕も未練を捨て、他人のことも考えず、生きるためにがむしゃらに生きた時があった。今もその真っ只中に生きていると言ってもいいだろう。
「生きてるだけでめっけもん」と言う言葉もある。
生きてこそ愛する人を愛することが出来、ゆとりある生活を目指すことも出来る。その時は危機感だけが自分を支配していたとしても、必ず光明は見えてくる。そのためにも「てんでんこ」や「手ぶらで一目散」という精神が重要になってくる。
明日6月11日で大震災からちょうど3か月経つ。少し、落ち着きを取り戻した今、もう一度、災害時の大原則を心に刻み直そう。
※長文に渡る引用、ご容赦ください。
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