【隅田川と荒川】
東京都の台東区と墨田区の間には隅田川が、墨田区や荒川区と葛飾区の間には荒川がそれぞれ流れている。また、墨田区と江東区には元は隅田川の支流だったものが運河として整備されている。
江戸小紋は、葛飾区の小岩や墨田区の八広に重要な工房がある。つまり、荒川の両側である。
現在、その川の水を活用しているわけではないが、作品製作と水が切っても切れない関係にある染色工芸らしい地域性といってもいいだろう。
ちなみに、江戸小紋に限らず、江戸手ぬぐいも荒川の近くに工房が点在している。
【江戸小紋】
江戸小紋は、江戸の各大名が愛用する裃(かみしも)の文様として発展した型抜の小紋柄である。当初は大柄なものもあったようだが、徐々に華美になり、大名間で競い合うようになった。そのため、幕府より統制され、大柄なものがなくなり、細かな柄だけが江戸小紋と言われるようになった。
ところで、英国の貴族の間ではクラン&タータンという紋章と柄がある。
それと同じように、江戸小紋にも、紀州藩の「鮫」、加賀藩の「菊菱」、薩摩藩の「大小あられ」など各大名家に定型があった。いわば、洋の東西を問わず、支配階級には家紋と定型があるわけだ。
そして、商家を中心とした富裕階級が、そんな文様を自分たちの着物や服に応用し、多くの洒落た柄や色遣いが登場し、競い合うようになったというのも同様である。
遠目では無地に見えるが、近くに寄ると精緻な柄が染め抜かれているというのが江戸小紋の特徴である。
なお、通常、友禅などと違い、小紋柄はカジュアルな普段着としてしか使われない。しかし、江戸小紋だけは、その発祥が武家の正装に使われたこともあり、訪問着などと同様、正装用として認識されている。
その精緻な柄は、江戸時代から現代に到るまで、伊勢だけで作られる「伊勢型紙」を使用することで実現している。
この伊勢型紙とは、厚手の和紙に柿渋を塗り重ねて作られた型抜用の紙を使い、ミリ単位の文様を切り抜いていき、連続柄に仕上げるという想像を絶するような作業の中から生まれた型紙である。
そんな型紙を、もみの木の一枚板に貼り付けた絹地に当てて、防染糊(ぼうせんのり)を置くことを繰り返すことで江戸小紋は作り出されるが、現在使われている技法は、江戸期とは比べものにならないくらい、発色を良いし滲みも無いとされている。いわば、江戸小紋は、伝統的な技法に甘えることなく、発展し続けてきたわけだ。
ちなみに、そんな伝統工芸の発展に寄与してきた江戸小紋の大家である小宮康考氏は、先代の小宮康助氏と同様、重要無形文化財保持者・人間国宝に認定されている。
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