∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

江戸伝統工芸**べっ甲細工**

【下町の工房】


 工房と言っても大きな建物があるわけではない。立ち並ぶ民家のうち一軒が工房兼店舗、いわば江戸時代に「見世」と呼ばれていた作りがそのまま生きているのが江戸伝統工芸の工房の特徴。
 特に、東京の谷中、千駄木、浅草、太平、横綱、東尾久など下町ど真ん中の地域には「江戸べっ甲」の工房が点在している。地域的に集中していることが多い伝統工芸の工房にしては珍しい存在と言ってもいいだろう。
 当然だが、なかには東京都の伝統工芸士として認められている優秀な職人の工房もいくつかある。そしてその工房を率いる職人の統領は、伝統工芸士であると同時に「町内の善きオジサン」でもある。これも「暮らす人々の息吹」と「秀逸なワザ」が共存しているという下町の隠れた魅力のひとつだろう。


【べっ甲細工】


 長崎で発展したべっ甲細工が江戸にもたらされて以来、江戸のべっ甲細工は「かんざし」や「眼鏡」など小物中心もモノ作りから発展した。
 1992年以降、ワシントン条約によって輸入が禁止されたウミガメの一種、タイマイの甲羅を使うことは江戸時代と変わりないが、甲羅をそのまま使用することの多かった江戸期と違い、現在ではタイマイの甲羅を10枚程度の薄片に削ぐことからモノ作りが始まるようになった。
 タイマイの薄片には、いわゆる「べっ甲色」の部分と黒い「斑(ふ)」の部分が存在する。それを職人の経験を元に組み合わせ、張り合わせることによって、無限に広がる色パターンを作る。そして、張り合わされた板を削り、形に整えていく。眼鏡のツルのように湾曲した部分には蒸気を当てて自然なカーブを作り出す。
 張り合わせた板の斑の入り方で作品の印象が大きく変化することを計算に入れたモノ作り、それがべっ甲細工なのだ。


【浮世絵とべっ甲細工】


 江戸期の浮世絵の中に「美人絵」と言うジャンルがある。吉原の花魁から市井の町娘まで江戸で「美人」と言われた女性を浮世絵にしたもので、喜多川歌麿が得意とした。
 この絵に描かれた美人たちは、時としてべっ甲のかんざしを挿している。きっとここに描かれたかんざしも長崎ものではなく、江戸の職人が作ったものだったに違いない。
 この「装飾品を主体とした小物をべっ甲で作る」ところに江戸べっ甲の真髄があり、それが今に伝わっている。つまり「かんざし」がネックレスやブローチなどのアクセサリーに変わったわけだ。
 しかも、着物をカジュアルな感覚で着る女性が増えた今、「かんざし」も“高価だが価値あるもの”として新たなファンを獲得しようとしている。
 貴重な素材と高度な技術で生み出されるべっ甲細工のワザは、今でも下町には確実に生きている。


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