【太宰治『斜陽』】
太宰治の『斜陽』の冒頭に≪「おむすびが、どうしておいしいのだか、知っていますか。あれはね、人間の指で握りしめて作るからですよ」とおっしゃった事もある。≫という一文がある。
前後の脈絡もなく引用したが、実はこの一文に手ワザの真髄が隠されているのではないだろうか。たとえば「指で握りしめて」を「手と五感」に置き換えてみよう。手の感触。作り手の思いとぬくもり。伝統工芸の職人が長い時間を掛けて体得した「匠の世界」と「おにぎり」の美味しさの共通項が分かっていただけるだろう。
手で結んだ「おにぎり」とコンビニで買う機械で作った「おにぎり」の違いを思い浮かべてもいいだろう。ホッコラとした「手結びのおにぎり」の美味しさの奥底に「人のぬくもり」があるからだ。
【木箸】
古来から日本人が使い続けている箸ほど身近な工芸品もない。しかし、箸ほど「あって当たり前」のものとして見逃されてきたものも少ないだろう。それなのに箸には数えきれないくらいの種類が存在する。菜箸、取り箸、利休箸。正月用、お茶席用、祝い事。日本人はあらゆる生活シーンに合わせて箸を作ってきた。あんなに単純な道具なのに、たとえば食事用と言っても丸箸、角箸など好みに合わせて使っている。今では今までの箸以上に手に馴染むように考えられた五角形、七角形、八角形などの箸も作られるようになってきた。
もちろん、これらの「多角形木箸」も微妙な角度や平面性を出すために手の感触が最大限に活用されている。いや、コンピュータ制御の製造機では作れないと言った方がいいだろう。
あまりにも日常的過ぎて、誰も思いつかなかったのだろうか。実は、江戸木箸というのはある工房の登録商標になっている。箸作り自身も東京という地域性を意識するようになってからまだ100年程度しか経っていないという。
だが、その物作りには、ほかの伝統工芸と同様、手が感じとる微妙な感覚を大切にすることや、使い勝手の良さを追求する姿勢などが備わっている。つまり一級品の伝統工芸と言ってもいいのだ。
【新たな息吹】
たとえば組紐のように「正倉院御物」の中にも見られるような長い歴史をもつものもあれば、江戸木箸のように、歴史は短いが内容は奥深いものがあってもいい。むしろ、工芸の世界に吹き込んだ新たな息吹と歓迎したい。
この数十年で、日本人の食生活は大きく変化した。しかし、箸の存在だけは変わらない。
世界中で箸はアジアでしか使われていない特殊な道具だが、この簡便なのに応用度が広い道具を使いこなせることに、改めて感謝したい。そして、工芸の真髄を感じとれる木箸にも感謝しよう。
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