∞∞この続きはコーヒーと一緒に∞∞

その日その時、感じたことを感じたままに。まるで誰かと語り合うコーヒーブレイクのように。

地デジの日

【2011年7月24日12:00】


 「今日、正午にテレビはアナログ放送に終止符を打ってデジタル放送に変換した」
 かしこまって言うと、こういうことになるのでしょうが、正直なところ、さほどの感慨もありませんでした。
 完全移行する瞬間を見ようと、イベント好きなフジテレビを選び、『27時間テレビ』の『笑っていいとも!!』を見ていました。岡村さんがカンペを見ながら、緊張して「世紀の一瞬」を迎える段取りをしているのも分かるし、変わった瞬間も観ましたが……「だからどうヨ」状態。
 我が家のテレビも地デジ対応だから、変わった方がおかしいのですが、それでも、何か変化があるのかな、なんて淡い期待までしてしまいまいました。
 他局も同様でした。「地デジになりました」とはコメントしているけれど、それ以外は何も変わらず。映像だって綺麗になるということでしたが、すでに地デジ化したテレビでは何の変化もなし。当たり前と言えばそれまでのことと納得しておきました。
と、何も変わらないことを確認して外出。結局『27時間テレビ』で矢部さんがゴールしたところも知らないまま。携帯のニュースで知ったほどでした。まあ、さほど、興味を持って観る気はなかったのですが……。
 

 2009年に移行したアメリカでは、以前から多かったケーブルテレビの契約が増えたとか。日本もそうなるのでしょうか。
 ツイッター上では、相変わらず、「なんでも批判こそ命」の方や「もうテレビは見ない」といういきがり派の方が盛んにツイートされています。それはそれで結構でしょう。
 でも、僕はこの手の進化には大賛成です。固定化されて身動きの取れなくなったインフラは変更して当然だと思うのです。テクノロジーはどんなものでも「時代と並走」してこそ価値があるのではないでしょうか。今日はテレビ電波の話ですが、スマートフォンもジャンボジェットも原子力も同じように「時代と、そこに生きる人」とマッチしなくなれば、新しいテクノロジーに代わって当然だと思っています。
 それよりも中身、コンテンツがどう変わっていくか、何を大切にするか、それが問題なのではないでしょうか。昨日まで伝統工芸の素晴らしさを連載してきた僕ですが、職人気質が手のぬくもりとして残っている工芸とは、まったく次元の違う話。表現物とプラットフォームは別物と考えれば問題なしと確信しています。


 テレビは新しい時代に突入した、という方もいらっしゃいますが、僕はもう少し様子を見せていただこうと思っています。映像が綺麗になるということだけではもの足りじゃないですか。
 インターネット上で数えきれないほどの映像がアップされ共有されている今、相互通信や文字通信だけでは満足できません。リアルタイム情報がどこまで幅広く共有されるか、そこにテレビの未来像が隠されていると思うのですが、どうでしょう。
 早い話が、「切っても切っても金太郎」状態のテレビがこれからもメディアのトップとして君臨するためには、デジタル波以上の研究とクリエーションが必要だと信じています。
 「時間つぶし」で見ている人にとってはどんな番組が流れてきてもいいでしょう。でも、映像製作の可能性は無限のはず。あらゆる可能性にチャレンジしていただきたいものです。
 あっ、それと「テレビだけが娯楽」になってしまったような弱者の存在もお忘れなく。どうもチャレンジというと、アベレージ以上の人を対象としてしまうことが多いような気がするのです。高齢化社会と、それに隠れているが切り捨ててはならない孤立社会に向かう今、弱者予備軍も確実に増えていることを忘れて欲しくないのです。


 さあ、明日の朝の番組はどうなっているでしょう。何か変化があるのでしょうか。


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